nature and tech.

地球平和の前に家庭平和の前に自分平和

エッセイ20180217

エッセイ20180217

土曜。今週ずっとインフル謹慎だったので、曜日の感覚がない。午前中はウエコロジーで夫によるヘアカット。最初はおばあちゃんのカットとヘナ。その間私と子ども2人で外で遊んで過ごす。

ムスメさんに「坊や抱っこだからこれ持ってくんない?」と助けを求めると、悲しそうな顔でいじけて行ってしまう。その後も抱っこを求めてくるが坊やも同時にくるので、二人同時は無理と言うと、二人とも愚図る。農作業用の一輪車を取りに走ると、笑顔になって乗って来た。作戦成功。

その後プランターをひっくり返したりして遊んでいると、ミミズが出てくる。坊やはそれを「へびー」と言う。一歳10ヶ月の知性に毎日驚かされる。土がぽこぽこになっている。「ミミズは葉っぱとかを食べて土にするんだよ。植物にとって最高の土なんだって」と言うと、ムスメさんが「スコップ持ってきて」と言う。私は立ち上がるのがメンドー臭くて「自分でとってきて」と返すと、ムスメさんはまたいじける。

内心「またか」と呆れたけど、一呼吸、NVC的に話をすることにした。
「さっき、坊やが抱っこしてっていうから、ムスメさんに持ってって言ったのが、嫌だったんだね?ムスメさんも抱っこしてもらいたかったから、寂しかったのかな?」
「坊やは抱っこしてもらえて、羨ましかったのかな。」
「でも坊やはまだ小さいから、ムスメさんは我慢しなきゃって思って、本当の気持ちが言えなかったのかな?」
すると「スコップ持ってきてくれないから怒ってるの!」とムスメさん。話を聞くとスコップの場所がわからないらしい。ならば、と重い腰を上げて取ってきてあげると、それを使ってミミズのウンチをすくい、ムスメさんが育てているレタスの鉢に自分で入れていた。やるな。

レタスの一件で気分を盛り返し、気持ちよく店に戻ると、今度はムスメさんの前髪カット。5歳の女子はじっとそれに耐えられる。ねえねの落ち着いた様子を説明したものの、いざ自分の番になると嫌がる坊や。私が羽交い締めにする。もちろん嫌がって泣くのだが、今朝その方針について夫と話したので、迷いは無かった。

それは「健康を害するようなリスクを取り去るためには、親は子に身体的な強制力を持つ」という意見だった。親が支配的であることは夫も嫌っているが、子どもの健康、保健衛生上やむを得ない場合には、親にその権限はある、と。歯磨き問題も一緒である。

私は無理に前髪を切ったら髪切るのが嫌いになってしまうのでは、と恐れていたが、夫はムスメさんに「昔ムスメさんも嫌がって無理矢理切ってたけど、今は切るの怖い?」と聞くと、「別に怖くない」との返答で、勇気付けられた。ま、そうだよね。

 

最後は私の番。頭を刈り込む。後頭部のアトピーがまた少し痒く感じるので、その周辺をスッキリさせたかった。頭が軽い。

その後も母屋で遊ぼうということになるが、ムスメさんが私のおっぱいにベタベタしてくるので「しつこい」と言うと、またスネる。「あっち行って!!」と言われるので、ここぞとばかりにあっち行って家事。

お昼は大根を煮て、肉ネギ味噌を作ってかける。茹でてあったブロッコリーのナムル。野菜は全てお義父さん作。

食後はずーとムスメさんを抱っこして、初めてのオリンピックライブ・羽生のスター性を拝んでから、一人の時間をもらいパソコン業務。配送メール、イベントごとの調整連絡、確定申告作業など。ムスメさんはおばあちゃんと過ごして、しばらくしたらこちらに来た。いつもの通り仕事が邪魔される!!と懸念したが、ムスメさんなりに気を使ってくれているのか、一人で工作しては、作品をデスクにもってくる。助かった。ムスメさんに感謝を述べる。

夜ご飯はお義父さんが釣って捌いたキスとフキノトウの天ぷら、味噌汁、お母さん作のサラダ。こちらに嫁いで揚げ物マスターになりつつある。羽生は優勝したらしい。

ムスメさんはご機嫌で眠りについた。

 

エッセイ20180216

エッセイ20180216

インフル謹慎期間明け、やっと坊やとムスメさんが安心して一緒に過ごせるようになる。坊やも少し鼻水で心配。さすがに母との時間が少なかったからか、甘えん坊したい様子。

坊やはムスメさんに比べると母にそこまで執着せず、目の前の興味関心に一人で時間を使う。性格か、二番目の子の宿命か。二番目の私は「手のかからない子」と親に言われるたびに、それに自分を当てはめようとして生きて来た側面もあるので、その点は注意したい。私はそうすることで4人姉弟の中でサバイブし、おかげで自立心が強い。

命題「性格か、環境か」。親が悩む原因の多くがここにある。子の性格なんだから好きにさせたらいい、いや、親の私の関わり方がこうだから、もっとこうしてあげればいいのではないか、など。子どもとの関わりは「反射」的な言動が多いので、「自分が心地よく思うような」選択を親はまずするが、それが「その時のその子」にマッチすれば幸せ、しないと怒り、失望、苛立ち、悲しみ、不幸せ。

そこで親は「この子は育てやすい、自分に似ている」と感じるか「この子はよくわからん、難しい」と感じるか。”親子に相性がある”、これはタブーの一つとされているだろう。”相性が良い悪い”というレッテル貼りは望ましくないが、実際”相性の問題と言われる現象”はあると思う。でも、それでサジを投げない。時に距離を取るという選択肢もありながら、関わりをやめないことが大事だと思う。”相性の違い”の正体、つまり自分との違い、つまりこの人は今どういう気持ちなのか、何を必要としているのか、を探求していくのはどうだろうか。
家族でさえ、それが難しい。じゃあ家族で練習しないで、誰とやるの?家族平和の探求は、実は世界平和の実践ではないのか?

作家の朝井リョウさんの結婚観に共感した。私が傾倒しているNVCと同じ考え方だと思った。主語は常に「私」なのである。親子も「主語たる親または子がどう感じているか、何を必要としているか」が大事だということだ。どの親子にも、”絶対的な最善の解”というのは無く、その時のその場で全身全霊でそれぞれが導き出す他に”最善の解”はありえない。力を入れすぎず、身を任せつつも、合わさる一点を逃さずアクションすることで、波に乗る。人生の波を感じ続けるしかない。うまい具合に波に乗れた時は幸せだ。

午前中一緒に過ごしていたが、ちょっとしたきっかけで、ムスメさんがまたメソメソ。昨夜から引きずっているのか、母が離れて行ったのが寂しかったとの気持ち。確かに私は離れていきました。いつもの、私は自分のしたいことをしようとした。とりあえずまだ時間に余裕はあるので、ムスメさんとぴったりくっついて抱き合う。「ムスメさんが嬉しい気持ちになったって思えたら、ママ行ってもいい?」と聞いてみたら、うん。とは言ってた。最適なリクエストがわからない。

結局、お昼の時間になり、夫がムスメさんの好きなパスタを用意してくれたので、区切りがついた。メソメソすれば、ママが戻って来てくれる、そう学習してしまったのだろうか?つき離すのが私には必要なのだろうか?

その後、ささっと気配を消して、私がやりたかった配送作業も完了できた。入荷したばかりの2017年産ヘナヘアケアオイルの注文、熟れ過ぎ注意の最後のキウイと甘くなって来た甘夏を東京の友人家族と大戸さんへ。タツミさんお店のケープを縫ってくれたアッコさんへ椿油。隣の郵便局まで子ども2人と歩いてお届け。

ほんの隙間時間に、母屋で一緒に皿を洗いながらお義母さんと色々話せたのも良かった。

夕方シロとコロをつれて家族みんなで海に散歩。久々の海。美しい。風がなく、裸足になっても寒くない。気持ちが良い。冬の寒さの中にいのちの動きが感じられる春のエネルギー!最高の時間。子どもたちも砂をいじったり、滑ったりして、楽しんでいる。

https://www.instagram.com/p/BfSdpp0ABXB/

https://www.instagram.com/p/BfSdyTfg-OV/

命題「私の時間か、子どもの時間か」。その両方、こうやって一緒の時間を私も子どもも楽しんでいる時が一番の幸せ。理想的な世界。

なお、今日の私的ハイライトは、とある会社に問い合わせの電話をした夫が電話受付の人に向かって、「人間ですか?!」と、どストレートな質問をしていたこと笑 たしかにマニュアルすぎてロボットかと思う時あるよね、しばらくはこれで思い出し笑いできる。

 

エッセイ20180215

エッセイ20180215

 

インフル発症から4日目。熱はもう昨日には下がっているが、まだ感染力があるとされている期間なので、こども園は休み。坊やとは別々に寝た(夫、私、姉とインフル発症時には母屋でじじばばと寝て、過ごしている)けど、そろそろ一緒に遊びたいし、遊ばせてもいい頃ではないかと夫と話し合う。

 

坊やは午前中はまずはおじいちゃんと畑へ。次にパパと隔離先の母屋で過ごし、その間ムスメさんはお布団で私に甘えん坊。しばらくすると坊やがママ~!と家に駆け込んで来たので、今度は私が一緒に坊やと出かける。「外行くならママも上着るね」と私が言うと「ママ、うえ、きる」と繰り返す。すごい言葉の再生力が高まっているもうすぐ二歳。坊やと一緒にコロスケの世話をして、郵便局に遊びに行ってから、店の掃除。嗚呼uecologyのロフト建設もしたいなあ。

 

お昼前、すこし晴れてきて、陽射しの暖かさが春。それだけで嬉しい。坊やと家に戻り、今度は夫と家の掃除。ムスメさんのインフルウィルスを一掃するように布団を干し、シーツを変え、掃除機をかける。少しすっきりした。絨毯を外ではたき、薪の補充。その間、坊やが「ねえねが好きすぎてスリスリしてくるから、うつっちゃう」のを懸念して、ムスメさんは一人で屋根の上に逃げて、楽しそう。坊やは自分だけ地上が満足できず、屋根に登るハシゴをひとりで登って行ってしまうから危なっかしい。

 

ムスメさんに言われて屋根に乗ると、裏の梅の大木のてっぺんだけが花が咲いていて春をふたたび感じる。裏の梅の木は見事に花芽がたくさんついていて、人間が切るとたくさん出てしまう徒長枝(とちょうし)という上方向に伸びる枝がほとんど無い。あるがままで完璧に美しい。そう感じさせる誇れる古木のひとつ。

https://www.instagram.com/p/BfNzbe1gAY4/

結局ふたりは一緒に遊びたいらしい。ふたりで一緒にお庭を歩いて、坊やが小さい手を「地の神様」に合わせる。その様子を「見て見てかわいい~」と、裏庭で犬のうんこを拾って埋めている私に喜んで教えてくれるムスメさん。良い時間。散らかしっぱなしだった柿と梨の剪定枝も整頓でき達成感。

 

お昼の鐘が鳴り(毎月変わる田舎のお昼の放送)そのまま二人はじじばばに会いに行って、思わぬ自由時間ができた。夫と二人で話をしていると、もう私の話が止まらない笑 このブログ見ればわかるかもしれないけれど、私は相当なおしゃべりである。「ごめんね私ばっか喋ってて」と言うと、夫に「知ってる。話したいんでしょ」と言われ、私は”話したい”というニーズが強くあることを受け入れる。自分がどう感じたか、何を考えたか、話したい。人に伝えたい。ここで書くことも同じで、アウトプットすることで頭を整理したい。他の人とそれについて話したい!私はそれをしないとモヤモヤして、落ち着かない。

 

同時に身体的なニーズとして「声を出したい」というのもあると思った。午前中店を掃除しながら、坊やと歌った。私は「声を出す」というニーズが強いのだと気付いた。昔ボーカリストをしていたのもそれが動機だったような。サラリーマン時代も会議や営業先でとにかく喋りまくっていた。声を出すと私は健康になる。

 

そのことを夫に説明すると、夫は私のニーズを言い当てたことについて、「NVCの講座をところどころ漏れ聞いてるだけあるでしょ」と嬉しそうだった。彼は私の学びの時間のために、坊ややムスメさんと時間を過ごしてくれているのだが、NVCのオンライン講座を実は所々聞いていて、一緒に学んでいるらしい。kokoさんにもう少しドネーションをしなくては!

 

私の世界を変えているNVC、夫も最近の私の変化に気づいており、「すごく良い感じ」らしい。パートナーが一緒に学んでくれて心強く、私もこのところの変化を好意的に思っていたので、それを共に感じられ感動した。泣く。

 

泣くのも、この日記を書き始めて3週間を読み返すと結構泣いている。その前はそんなにしょっちゅう泣いてない。この泣くって言うのも、私のアウトプットの一つで、気持ちを確認したいというニーズで、身体的にも私が必要としている行為に感じた。

 

このように、「自分のニーズを明確にして、パートナーや関係する人たちに伝える」ということが、KOKOさんのNVCのワークを始めてから、より的確にできるようになってきた。NVCでは「自己共感」と呼ぶ。

 

自分のニーズを軽視する人は、主語が自分ではない「普通は」「世間が」「きまりだから」「女だから」「母だから」に縛られて、自分の本当のニーズを重視できない。またはニーズを表現する自信や気力がない、またはその発想もなく、やり方も見当がつかない。すると、「自分は我慢してるのに」「あなたのためにやってるのに」と「のに」が増えて、卑屈になって、なんでも被害者のように思えてくる。

 

自己共感でまずは自分で自分を幸せにする。この一連の”魂の成長”のきっかけになった昨夏の経験、友人でキネシオロジストの朋美に改めて感謝したい。

 

そして午後はそのままNVCの補講的な共感バディーでのオンライントーク。長野と徳島と愛知を繋いで、今の気持ちをシェアする。とにかく話しまくって楽しかったし、話しながらまた泣けてスッキリした。

 

共感バディーの方が、「みさよさんの話を聞いていると、ムスメさんへの対応について、流れができてるように感じた」と言ってくれて嬉しかった。流れとは、滞りがないということ。蛇行しても、滞りなく流れていれば、健やかな気がする。常に変化していくという意味でもある。

 

途中からムスメさんが戻ってきて抱っこしながらのオンライントークだった。私はムスメさんが聞いていても、「子の願いを叶えてあげたいというニーズがあるが、子と離れて自分のやりたいことをやりたいというニーズもあり、その時間の使い方に悩む」と例の命題について包み隠さず話す。嘘をつかないのは私の大事にしている価値観のひとつだが、これについてムスメさんとNVC的に話をしていこうと決めた。

 

オンライントークが終わり、ムスメさんとの時間にする。坊やは母屋なので、二人で遊べて嬉しそう。その時、ムスメさんは自分の判断で、犬のシロが邪魔をするからと、となりの部屋にお水を置いてシロを閉じ込めた。

 

夜、ムスメさんがまた坊や抜きで私と過ごしたいと言うので、「ムスメさんが自分のやりたいことをする時に、誰にも邪魔されたくないって思う気持ち、わかるよ、ママもそう思うときある。」と説明すると、自分は邪魔者だと思ったか、一気に悲しくなってしまったようで、丸まって泣いてしまった。何も言わないで全身全霊でそばに座っていたけれど「あっち行って!」の一点張り。そのうち泣き疲れて眠ってしまった。

 

悪いことをしたと思った。五歳にすべてを正直に話そう、というのは無理のあることなのかと、自信を失い、悲しませてしまった自分に失望する。夫に話すと、”インフルハイ”がまだ続いていて、感受性が高まっているのではないかとの見解。とにかく、ムスメさんがうなされるたびにしっかりと寄り添い抱きしめるしかできない夜。