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地球平和の前に家庭平和の前に自分平和

エッセイ20180216

エッセイ20180216

インフル謹慎期間明け、やっと坊やとムスメさんが安心して一緒に過ごせるようになる。坊やも少し鼻水で心配。さすがに母との時間が少なかったからか、甘えん坊したい様子。

坊やはムスメさんに比べると母にそこまで執着せず、目の前の興味関心に一人で時間を使う。性格か、二番目の子の宿命か。二番目の私は「手のかからない子」と親に言われるたびに、それに自分を当てはめようとして生きて来た側面もあるので、その点は注意したい。私はそうすることで4人姉弟の中でサバイブし、おかげで自立心が強い。

命題「性格か、環境か」。親が悩む原因の多くがここにある。子の性格なんだから好きにさせたらいい、いや、親の私の関わり方がこうだから、もっとこうしてあげればいいのではないか、など。子どもとの関わりは「反射」的な言動が多いので、「自分が心地よく思うような」選択を親はまずするが、それが「その時のその子」にマッチすれば幸せ、しないと怒り、失望、苛立ち、悲しみ、不幸せ。

そこで親は「この子は育てやすい、自分に似ている」と感じるか「この子はよくわからん、難しい」と感じるか。”親子に相性がある”、これはタブーの一つとされているだろう。”相性が良い悪い”というレッテル貼りは望ましくないが、実際”相性の問題と言われる現象”はあると思う。でも、それでサジを投げない。時に距離を取るという選択肢もありながら、関わりをやめないことが大事だと思う。”相性の違い”の正体、つまり自分との違い、つまりこの人は今どういう気持ちなのか、何を必要としているのか、を探求していくのはどうだろうか。
家族でさえ、それが難しい。じゃあ家族で練習しないで、誰とやるの?家族平和の探求は、実は世界平和の実践ではないのか?

作家の朝井リョウさんの結婚観に共感した。私が傾倒しているNVCと同じ考え方だと思った。主語は常に「私」なのである。親子も「主語たる親または子がどう感じているか、何を必要としているか」が大事だということだ。どの親子にも、”絶対的な最善の解”というのは無く、その時のその場で全身全霊でそれぞれが導き出す他に”最善の解”はありえない。力を入れすぎず、身を任せつつも、合わさる一点を逃さずアクションすることで、波に乗る。人生の波を感じ続けるしかない。うまい具合に波に乗れた時は幸せだ。

午前中一緒に過ごしていたが、ちょっとしたきっかけで、ムスメさんがまたメソメソ。昨夜から引きずっているのか、母が離れて行ったのが寂しかったとの気持ち。確かに私は離れていきました。いつもの、私は自分のしたいことをしようとした。とりあえずまだ時間に余裕はあるので、ムスメさんとぴったりくっついて抱き合う。「ムスメさんが嬉しい気持ちになったって思えたら、ママ行ってもいい?」と聞いてみたら、うん。とは言ってた。最適なリクエストがわからない。

結局、お昼の時間になり、夫がムスメさんの好きなパスタを用意してくれたので、区切りがついた。メソメソすれば、ママが戻って来てくれる、そう学習してしまったのだろうか?つき離すのが私には必要なのだろうか?

その後、ささっと気配を消して、私がやりたかった配送作業も完了できた。入荷したばかりの2017年産ヘナヘアケアオイルの注文、熟れ過ぎ注意の最後のキウイと甘くなって来た甘夏を東京の友人家族と大戸さんへ。タツミさんお店のケープを縫ってくれたアッコさんへ椿油。隣の郵便局まで子ども2人と歩いてお届け。

ほんの隙間時間に、母屋で一緒に皿を洗いながらお義母さんと色々話せたのも良かった。

夕方シロとコロをつれて家族みんなで海に散歩。久々の海。美しい。風がなく、裸足になっても寒くない。気持ちが良い。冬の寒さの中にいのちの動きが感じられる春のエネルギー!最高の時間。子どもたちも砂をいじったり、滑ったりして、楽しんでいる。

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命題「私の時間か、子どもの時間か」。その両方、こうやって一緒の時間を私も子どもも楽しんでいる時が一番の幸せ。理想的な世界。

なお、今日の私的ハイライトは、とある会社に問い合わせの電話をした夫が電話受付の人に向かって、「人間ですか?!」と、どストレートな質問をしていたこと笑 たしかにマニュアルすぎてロボットかと思う時あるよね、しばらくはこれで思い出し笑いできる。