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地球平和の前に家庭平和

いい母親をやめて本性で生きることにした

いい母親であろうとがんばりすぎてた、ということに気づいた。

 

6月下旬の週末、いきなり左の肩と首に激痛が走り、2日ほど休んで日常生活は送れるようになったものの、ずっと痛みを引きずったままだった。そもそも3ヶ月ほど前から左の足の小指がずっと変だった。それをかばうように生活しながら、10kg20kgをおんぶに抱っこで、ついに絶不調。所々の10円ハゲならぬ10アトピーも再発。精神面もひきづられ、夫とうまく会話できず、苦しい。

 

20年来の友人でキネシオロジストの朋美に話を聞いてもらう。声が出て、気持ちが出て、涙が出る。身体が不調で、休みたい、休ませて、母親業も本当はなにもしたくない、とやっと言えた。

まずは自分を大事にしてください、と言われる。ムスメさんにも自分と同じように我慢してがんばるのを望む?と。

「身体の不調があるってことは、今までのやり方じゃあ、もうだめってことだから、なにか違うやり方を試してみる時だよ」

 

坊やが1歳を過ぎ、意思がはっきりしてきて、私を独り占めしたがるようになり、すこし離れると泣く、離れないように足を羽交い締めにするようになった。思いが叶わないと激しく抵抗する。その時の力がムスメさんの赤子時代と比較すると圧倒的に強い一歳男児。諦めないで抵抗しつづける粘り強さ。夫は「こういう時はママじゃないと余計に嫌われる」とお手上げ。

 

そう、子が成長しているのに家族が変化についていけていない。今までのやり方ではもうダメだと改めて気づく。苦しい時は変化の時。只今成長中。何かを変える時。

 

まず、本に頼る。本をまともに読むのも久しぶりだ。本など、メディア作品にはホント、タイミングがある。網縁(もうえん)とはまさにこのこと。

三浦朱門曽野綾子という作家同士の親が息子にとっては重荷だったという三浦に対して)曽野綾子重圧でも仕方がない、というのが、私の考え。だって、変えようがないでしょう。それには、私は同情しなかった。みんな、それぞれ重荷を負っているということです。(中略)生きているというのは、重荷があるということですから。

夫婦のルール

夫婦のルール

 

 

最近、漫画の終了に際し、露出が増えている西原理恵子さんを描いた映画『毎日かあさん』も見たのだが、”重荷”がなんたるか、映像化されていた。(きょんきょんと永瀬雅敏の共演もいいよ、特にひっぱたくシーン)また、西原理恵子さんが「本性で生きている」って感じがした。

毎日かあさん

毎日かあさん

 

 

どんな親だろうが、子にとっては重荷である。そう言われれば納得がいく。

家族の業、と私は理解している。

私は自分が親として子に影響することをそれなりに恐れている。これをしたら可哀想かな、トラウマになりはしないかな、その一心で、自分の気持ちを我慢して、子の要求に応えることが度々ある。 

もう自分の影響を恐れたってしょうがない。子はそうなるしかない。どんな親だろうが重荷であることは変わりない。親と子は絶対的な関係であり、家族劇場は役者も観客も家族で構成されている。親の行為が過干渉になるか、ネグレクトになるか、その程度に個人の感覚以外の物差しはなく、それで子が未来にどうなるかは誰も知り得ない。

 

たしかに、私の経験では、いい母親になろうとしてここ3ヶ月くらいは、穏やかな日々が送れていたのだった。”まだ小さいんだから甘えるのは当然(甘えさせてあげるのが良い親)”というスタンスでいれば、いちいち5歳児が「トイレ連れてって」「お尻ふいて」「きがえさせて」「抱っこじゃなきゃ食べない」「立って抱っこして」と言ったところで、”まだ”5歳、と思っていれば、私がどうしたいかに関係なく、イライラを回避できたから。

ムスメさんも安定していた。ムスメさんの話をよく聞いて、穏やかに過ごせる、という意味では成功した。でもそれは自分に「耐える」ための麻酔を打って暮らしているようなもので、実際、私はどうしたいのか、については蓋をしていたのだった。

 

思うところがあり、学び始めたNVC(ノンバイオレーションコミュニケーション)の本でも、私は無意識的にジェンダーに縛られていることに気づいた。

とりわけ女性は、自分が必要としていることを表現すると批判されやすい。何世紀ものあいだ、愛情深い女性のイメージは、自分が必要としていることを押し殺して人の世話を優先する自己犠牲的なイメージと重ねられてきた。女性は、自分以外の人の世話をするのが最高の務めという社会的教育を受けてきているので、多くの場合、自分が必要としていることを無視するように学んでしまっている。 

NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法

NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法

 

 

曽野綾子はこうも言う

親はいい親になろうとする。それはね、親に自分の人生がないからですよ。自分の人生を生きたらいいんですよ、親が。 

 

真っ白なキャンバスのような子どもは、親との関係をはじめとして世界を学び、一人の人となっていく。子は、親の人としての学びの延長線上に生きる。そしてその”ハンディ”を活かしたり、抗(あらが)ったりして、親の見えぬところに飛び立っていくのだろう。 

私は自分の本当のニーズをおざなりにせず、本性で生きることにした。

まず、計画としては今月21日に坊やの授乳を辞める。そのためにカレンダーに毎日アンパンマンを描いてカウントダウンしてる。ムスメさんが触るのも終わり。おっぱいなくしても、女親にしかできないことがあるのだろうか?なければ良いような、そんなはずがないような。これについてはまた話そう。

そして、私自身の大きな変化としては、髪型と、母親業をしない一人の朝を始めたことだ。おかげで先週から大きく流れが変わった。OSバージョンアップ。新しいフェーズが始まりました。

 

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