nature and tech.

地球平和の前に家庭平和の前に自分平和

暑い日の子どもの仕事 「冷凍庫の整理」

梅雨入りながら今日は晴れて暑かった。

ムスメさんと朝バス停に向かおうとすると、「ようちえん休みたい」とのこと。昨日はこども園の役員会で私も1日園に行っていたこともあり、今週十分ようちえん頑張ったよね~という感じで、休むことに。

 

実は最近、ムスメさんが家にいながらにして、結構私に仕事をさせてくれるようになっている。

相変わらず「ママとあそびたい~~」は1日何度もあるのだが、「これこれこうで仕事が終わったら遊ぼうね」と言うと、不服そうながらも、自分で別の遊びを見つけられるようになった。「ママに仕事をさせてあげている」というのが正しい表現かもしれない。

5年の成長と付き合いで、私が仕事熱心なやつだということをよく理解してくれているようだ。このブログでも散々書いてきた「仕事したいけど分断されるストレス、子と一緒に仕事したいけどその気にさせられない」という悩みも、徐々に癒されつつある。私も区切りがついたら1日のどこかで遊ぶようにしている。遊べる環境であることは以前にも書いた通り。

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そんな変化もあり、「今日も良い1日にしよう」と始めた朝、夫と交代で坊やとムスメさんの相手をしながら、畑仕事。夫は葉物についたアオムシをピンセットでつまんだり、私は草と大根をとって洗ったり。梅の状態を見たり。ムスメさんはダンゴムシを集めたり、坊やをおんぶする遊びをしながら、暑い~~!!アイスクリーム食べたい!となる。

 

そこで、アイス的なものを求めるムスメさんに、冷凍庫の中になにがあるか見てみよう、と提案。私は坊やに授乳をしながら、実働隊はムスメさん。冷凍庫の中のものをひとつひとつ出しながら、わかるものとよくわからんものに分けてくれた。おかげで在庫の再認識と整理ができたし、庫内の清掃もできた。

出てきたものと、使い道をご紹介。

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<再度冷凍庫に戻したもの>

  • 水(園でもらった『とよすい』地震の時の水~とムスメさんよく覚えてた。)
  • うどん
  • アジ
  • イワシ
  • 鹿肉
  • よもぎペースト
  • 無糖いちごジャム
  • かき氷の氷
  • 梅シロップ?を水で割って凍らせたシャーベット
  • 保冷剤やアイスノン

<解凍して犬にあげたもの>

  • 出汁
  • ご飯(坊やの離乳食)

<解凍して人間が食べたもの>

  • もも果肉プレーンとシロップ漬 
  • そら豆
  • あさり

ムスメさんはこの仕事のおかげで冷たいピーチシェイクを飲めて満足していました。暑い日の子どもの仕事に丁度良い。

 

mindlogchihiro.hatenablog.com

前回に引き続きフードロスの問題への対策の一つなのだが、冷蔵庫の在庫を定期的に棚卸しする、というのは地味だけど結構効き目がある気がする。日本のフードロス(=食品ロス、642万トン/年)のうち実に約1/2312万トン)が、家庭から排出されている、というのだから、まさに世界平和の前に家庭平和、家庭でできるアプローチだ。

 

実は今年、地元田原市のゴミ対策推進協議会の市民代表の委員をしている。ゴミ問題に関心があるので立候補して採用された。

そこで知ったことの一つが「30.10(さんまる・いちまる)運動」。宴会の席で食べ残しが多いことから(ほんと多いよね)最初の30分と最後の10分は席について出たものを食べよう、というもの。私が良いと思ったのは、それにちなんで、長野県松本市では「毎月30日は冷蔵庫クリーンアップデイ」として各家庭で冷蔵庫の整理を推奨していること。

残さず食べよう!30・10(さんまる いちまる)運動 松本市ホームページ

  

冷蔵庫の在庫確認と活用は、ものが溢れる現代人がやってしかるべきタスクだけれど、緊急度が低く、後回しにされがちでは?子どものズル休みを利用して、一緒にできるなら、最高のタイミング。特に暑い日は。

そしてなんでも捨てるのではなく、「案外食えるかも」という発想で、家族の食べたいものを作る。生活のことで家族で一緒に仕事をする、学ぶ、というだけでやってよかったと思えると思う。

 

時間と感覚が必要な食べ物の手作りはフードロスを救う

mindlogchihiro.hatenablog.com

 

梅仕事2017から考えたことの続き。

梅を一粒一粒様子を見ながら、選別していく作業にハマった。味噌作りの時も大豆の選別にハマったけれど、こういう単純作業が好きだ。

選別しながらフードロスの問題について考えていた。

foodlosschallenge.com

毎年作られる食料の1/3が捨てられています。これは量にして、実に13億トンです。
フードロスとなる食べ物の1/4でも有効利用できたら、世界中で飢餓に苦しんでいると言われる79500万人(20161月時点統計)のお腹を十分に満たすことできます。
もしもフードロスが一つの国だったら、アメリカ、中国に続いて三番目に大きい温室効果ガス排出国です。
日本のフードロス(=食品ロス、642万トン/年)のうち実に約1/2312万トン)が、家庭から排出されています。 

 

個性を活かす、いのちを活かす

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直径1cmくらいの小梅。直径4cmくらいの大梅。

パリッと硬い青梅。甘い香りの黄色い完熟梅。

つるつるの肌の梅。シワシワの梅。

丸い梅。変形した梅。

傷がかさぶたのように乾いている梅。傷を塞ごうと果汁を出して修復中の梅。傷がまだ生っぽい梅。傷から茶色く傷んで来ている梅。

虫が食べている梅。

すべて違う。生きているから、時間とともに変化がある。最後は何かしらに食べられて(利用されて)、梅としての一生を終える。(腐ることも含め)

選別後、捨てるのはごく一部で、生傷の多い梅か、虫食い。傷がかさぶた状になっていれば、見た目は悪いが、自己修復済みの肌の、生き延びた梅たちなので、梅によっては、お客様分にも入れさせてもらっている。輸送や追熟に時間を要する場合にはそれも傷むリスクになる。ジャムや梅味噌など丸の実である必要がないものであれば傷物も活かせる。状態によってどうするか、観察と学びは続く。

 

食べられるかどうかは誰が決めるか 

とはいえ、それは私の正義であり、選ぶのは受け取る人それぞれ。生産者としてそれを押し付けるわけにはいかないが、理解あるお客様と繋がれれば幸いである。

フードロスの問題を考える時も同じで、正義のために、傷ありの梅や、スーパーのゴミ箱からもらったサンドイッチや、賞味期限切れの缶詰をみんなに押し付けるわけにはいかない。

は?と思った方はこちらを 

www.youtube.com

たとえ、それが大事な命を活かして欲しいから、と言われても、お腹を壊すことも含めて、自己判断の自己責任でやることである。

mindlogchihiro.hatenablog.com

誰かが決めた規格の範囲のものしか食べたことのない人にとって、車に轢かれた獣は汚いゴミだが、自分の感覚でそれを食肉だと判断する者もいる。

同じく、部屋の一角に数か月放置された瓶の中の果実は「食べてはいけないヤバイもの」だが、自分の感覚でそれを「酒」や「酢」や「パン酵母」などと判断する者もいる。

 

「無駄死に」を減らすのは「案外食える」という発想

たぶん、戦後の経済成長を経て、解体や発酵を自分でやる人口は減った、が、ここ数年でまた人口が微妙に盛り返してきたのではないかと感じる。

農的暮らしでは解体や発酵のテクニックは親から子へ引き継がれていたのだろうが、食べ物の全てを流通に任せ、過剰に供給されるようになると、それが消えかけた。

昨今ではインターネットやそういうワークショップなどを通じて、情報や場が増え、解体や発酵にチャレンジする人が微妙だけど増えつつあるのではと根拠のない推測。そういう時代性を感じる。

とはいえ、いざ解体や発酵したものを食べられるかどうか、食べてみてどうか、感じるのは自分しかできない。「これはイケそう、やめたほうがいい。」それはインターネットではわからない、自分の感覚を頼りにするしかない。

だから梅仕事を始め、「口に入るまでに時間と感覚が必要な食べ物の手作り」は現代人にとても良い経験だと思う。口に入るまでの過程を知ることに加え、怪しい食べ物にチャレンジする「最初の味見」こそが。「案外食えるその感じを得た人は強くなれる。

冷蔵庫の隅に追いやられた怪しい食べ物も火を通せば、案外食えるかもしれない。フードロスにおける無駄とは金銭的なコストでは説明できない、全うされない生命の「無駄死に」のことだ。

今の衛生環境なら「案外食えるかも」という発想を持つことがフードロスに家庭でできるアプローチの第一歩ではないだろうか。どう調理しようかという情報はネットを見れば色々出てくる。テクニックは後からついてくるはずだ。

ま、各自自己責任で

私ってそういうとこある。というマジックワード

ここ五年、人生史上最も必死に生きてきたと振り返る。母として、妻として、嫁として、苦しいことも多々あった。

子育てはあと何年だろう。最近じゃあ卒母なんていうらしい。下の子合わせて15年というところだろうか。まだ先は長いが、すでにその後の人生が楽しみで仕方ない。子に時間を取られずに、あれも、これもやりたい。

私ってそういうとこある。

これ、最近の便利ワードのひとつである。

誰もが理想の母親像に無意識的に囚われている。最近はそのことに気づかせ、そこから解放されようとする議論がよく聞かれる。どんな母になろうと、選択肢は多様で、許される世の中だと。

なんとなく、早く子育てから解放されたい!という思いを持つことが、理想の母親像から外れることのように思えて、今まで言語化できなかった。ましてやブログに書くと、子がそれなりの年齢になって見たらショックをうけるかな、とか、批判にあうかな、とか考えていた。

でも、最近この
私ってそういうとこある。
というマジックワードによって、理想の母親像とは違うなっていう現実と、それが私だから、それが本心だから、と受け止められるようになった。

だからといって、子どもたちへの愛は変わらないし、本気で関わっていくことには変わりない。

このマジックワードは誰にでも使える。◯◯ってそういうとこあるよね、って言えば、まぁそういう奴だから、まずはそれを受け止めようって気になる。おためしあれ。