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地球平和の前に家庭平和

子と遊べるイマドキの嫁

水汲み、洗濯、炊事、掃除、風呂焚き。大家族で家事が多すぎて、男がエラくて女がとにかく働けっていう時代には、嫁の仕事が忙しすぎて、子どもと遊ぶ時間なんてなかったんだって

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いまに伝える農家のモノ・人の生活館より「嫁の導線」)

 

私がムスメさんと遊びに盛り上がってると、それを見たお義父さんが「いーねーお母さんに遊んでもらえて、わしの時代はお母さんはちっとも相手なんてしてくれなかった」とよく言う。

少し時代が巡り、昭和後期から平成初期に、外に働きに出ていたうちのお義母さんは、家に帰ると大家族の長男の嫁として、せわしなく家事をしたって。子供と遊びたくても、する暇がなかったって。
姑が孫の相手をするから、嫁には子の相手もさせないという家さえあったと聞く。当の姑もかつてはそんな嫁時代を過ごし、人生最初で最後の念願の子どもの相手なのかもしれない。

ちょっと前に、ムスメさんと遊ぶのが苦痛で、私も”家事や仕事で忙しい子の相手ができない母”になってもいいじゃん、という気になって、家事含む仕事モード全開で、結局上手くいかず、親子で辛いシーズンがあった。

最近はそれもあまり気にすることなく、ムスメさんと遊ぶのも苦痛でなく、楽しんでる自分がいる。愛を取り戻した。ハートに火が灯っている感。


子どもとの時間を奪われた母は、子どもと遊びたかったという。切実な願いとして。
大家族の中で、嫁としての自分が生活の大半。やりたいかどうか、ではなく、目の前にやらなきゃ暮らせない仕事がたくさんあった。

現代では核家族内の母が働きに出る。イマドキ、母親が仕事をする動機は自己実現や息抜きも大いにあると思うが、そうしなくては暮らせない、という理由は今も昔も変わらずあるだろう。
ただ暮らせない、の定義は昔とは違っている。洗濯板でゴシゴシはしないが、香りプラスの柔軟剤を買うお金が要るようになった。畑で野菜を育てる必要はないけど、スーパーで惣菜を買うためのお金が要るようになった。

何が言いたいかっていい時代になったねってこと。家事はいくらでも減らせるし、いくらでもこだわれる。
家にいてもいいし、外に働きに行ってもいいし、薪火で炊事してもいいし、コンビニで弁当買ってもいいしっていう選択が許される世になったわけだ。
子どもと遊ぶ時間さえ、経済的に困窮していなければ、ある程度采配できてしまう。ドラえもんのような子守ロボットが出てくれば尚更、と書きながら、すでに私たち親はYouTubeやらAmazonビデオという子守ロボットを手にしていることに気づく。

また、核家族というと寂しいものとか味気ないものみたいに非難しがちだけど、舅や姑になにかを強制されるようなことが平気で昔はあったんだから核家族化はそれを回避する方法だったんだな、とも。

今日では、舅や姑からなにかを強制されるって、(家業があれば別だが)暮らすための仕事の話じゃなく、たぶん単なる好みや嗜好の話だよね。子どもに何を食べさせるか、お受験させるかどうか、とか。それが合ってるかどうかが問題になってくる。

つまり、ライフスタイルが合ってるかどうか。私にとって夫の次にライフスタイルが近いのは義親。家は別棟だとしても、おなじ土地に住んでいて、私の人生のほとんどがこの家の敷地内での活動だから。

我が家ではお義父さんお義母さんと夫と子どもたちみんなで毎日夕食をとります。ムスメさんが私と遊びたがるので、まだ赤子のムスコさんをお義父さんが抱っこして、お義母さんと夫が炊事をしてくれる、というのが我が家によくある家族の風景。感謝します。