nature and tech.

地球平和の前に家庭平和の前に自分平和

祖母からの戦争体験の聞き書き

7月夏休みのはじめに久しぶりに実家に帰った。中高生のころに使っていた手帳やお絵かきノートなど、思い出の品に目を通し断捨離したのだが、中3の夏に書いた戦争体験の聞き書き(原稿用紙11枚の大作)を、終戦の日によせて、デジタルでも残しておく。祖母は東京の下町出身で、東京大空襲の体験や、その後長野に疎開したことなどを話してくれた。これを書いたのは23年も前のことで、私も歳をとったし、祖母は93歳で身体は健康だが認知症が進み、今や戦争のことはどのくらい憶えているのだろうか。ずっと一緒に住んでいた祖母なので、先の帰省時にも会いたかったが、入居先の施設で新型コロナの陽性者が出たとのことで、会うことができなかった。この聞き書きを自分で読み返して、ますます、生きているうちに、会っておきたいと思った。



『やすらぎの中の心』

(中学3年、ひで子おばあちゃんからの聞き書き、創作風)

 

夕暮れ時。いつもの風景の中。静かに時が運ぶ。そのゆったりとした波に揺られているように私の心は安らぎ何かに怯えたりする必要など全くないと思っていた。母と台所にていつものようにおしゃべりしながら、いつものように夕飯の支度をしていた。まっすぐな西日が小さな窓から舞い降りてきてステンレスの上を流れる水が所々でキラキラ橙色で綺麗だった。あたたかかった。

「お米の支度私がするね」

「あんまり贅沢しないでくださいね。」

「わかってます。」

そんなことは誰もが十分にわかり切っていることだったから、目が合うと母はいたずらそうに微笑み、私はそれを見て笑った。笑顔が直らないまま、米びつのところへ行ってマスでぐいっとお米をすくった

ー次の瞬間‥真っ白なお米はそこにはなかった。かわりに赤く焦げた米粒がマスにあふれていた。突然のことで声も出ない。なんだかすごく怖くて、手の中にある赤黒いその色が自分に襲いかかってきそうに思えた。米びつの中に目をやるとそこは赤く燃えていて、赤黒く焦げた人間がうめき声を上げてその中に飲み込まれていく‥。

あまりの恐怖と混乱で体が震えて米粒をばらまいてしまったと思うと、米びつだけではない、家全部に炎が上がり、夕日が染めているわけではなく、赤く赤く回りが私にのしかかってきた。熱くて、怖くて、心細くて、さっきまでいっしょにいた母を思ったら、炎の間から米びつの中へ沈んでいった人のように赤黒く焦げた母らしき人がこう言うのだ。

「大切なお米なんですよ‥!!」

そう繰り返す声もだんだんくずれるようにうめき声に変わっていった。私はとにかくその赤く焦げた怪物のような人間が恐ろしくて、それが母なのかと思うと怖くて、どうしようもなくて、ただ「ごめんなさい‥ごめんなさい‥」と言って、お米を一生懸命に拾い集めているのだった。

「ごめんなさい‥ごめんなさい‥‥」

ー!!!ー

何かに驚くようにバッと起きあがる。すごい汗だ。息も上がっている。夢だったんだ、夢でよかった‥。ホッと胸をなでおろすよりも、なんだか急に安心感がおしよせてきて、涙が出た。こんな夢は以前にもみたことがあった。悪い夢‥そう、今となっては本当に悪い夢。でもあの頃は違った。それは現実だったから。

 

***

 

それはついこないだのことのようで、また遠い過去の出来事のようにも思える。

昭和20年3月10日、もう春になるというのに、まだまだ寒く、日本全体が、みんなの心が、厳しい冬の真っ最中のようだった。18になる娘がもんぺに長ぐつ、防空頭巾、こう考えるだけでも目の前が暗くなる。夜になれば窓に黒布をして裸電球一つの明かりさえも外にもれぬようにした。そうやって怯えている自分がいやだった。

その日もそんな格好で、そんな気持ちでいたら、来た。

ウーウー‥ウーウー‥

突然気が狂ったようにうなり出す警報に、びくっと体が硬直する。でもいちいち驚いている時間などないのだ、早く避難しなければ‥

ズズズズズズズーン!!

地響きが起こる。すぐそこに焼夷弾が落ちたのだ。

「早くうちから出るんだ!」

父が叫んだ。私は言われるがままにするが、うちが心配で少し後ろめたい気もあった。道に出ると、うちの裏の方からどんどん火の手が上がっていた。今までいくつもの家々がなくなっていくのを見てきた。でもそれが自分のうちとなると、気が動転して、なにがなんだかわからなくなっていくる。

「うちが燃えちゃう‼︎全部なくなっちゃう‼︎」

その時私は何を思ったか、目の前の大きな炎の塊に、思い切り突進していったのだ。せめてお米だけでも。貴重な白米を失いたくなかった。

「ひで子、戻ってきなさい‼︎」

父の声もほとんど耳に入らず私は必死になって台所の方へかけ抜けていった。しかし廊下の先がもう炎に包まれている。私は目を見開いた。恐怖で足がすくむ。でもここであきらめるものか、と自分を立て直し一歩踏み出そうとすると炎は大きくボワッとゆれて私の行く手をはばんだ。

「熱い!!」

思わず後ろにさがる。それでも煙でしみる目をしかめて懸命に炎の先を探るが米びつの姿など一つも見えてこなかった。

炎は容赦なく私の方へせまってくる‥もうダメだ!!死んじゃう!!早く逃げなきゃ!!ようやく我を取り戻し、私は必死になってその魔の手から逃げ出した。

「ひで子!!」

表に出たところで父がガクガク震える私を抱きかかえてこう言った。

「もううちはあきらめるんだ。それより自分の命を守れ。さあ高台に避難するんだ。」

何もわからない状態だった。さっきまでの恐怖と不安でひきつったままの顔は涙と煙でぐしゃぐしゃだ。息がつまって言葉が出ない。

高台につくと家族のみんながいた。時間が経つにつれて私の気持ちは落ちついていったが、ここから見える全ては炎に変わりはなかった。私はその中の一点を遠く見つめていた。こうやって町も家も暮らしも、思い出の物も場所も、貴重なお米もみんな灰になっていくんだ‥一人静かに悲しく思った。そして何一つ守ることができなかった自分の無力さと、B29の非常なまでの破壊力に、絶望したのだった。

 

翌朝、町から火が消え、家が消え、かわりに残ったものは悲しみと虚しさだけだった。

私は空っぽな気持ちで表側だけ残った我が家と、その先に見える空を見た。B29が飛んでいない空も、空っぽだった。‥あ、遠く空の向こうからニワトリが鳴いている‥コケコッコー、そんな風に聞こえたのだ。するとその時、

「あれ!!ニワトリが生きてる!!」

弟がうれしそうに叫んだ。まさか、と思ったがその映画のセットのようになった家のベランダに、飼っていたニワトリがカゴの中を動き回っているのだ。しかも羽だけうまい具合に焦げて無くなったその姿があまりに不格好だったから、思わず声を出して笑ってしまった。その時、家族みんなに笑顔が戻ってきたことを私はきちんと確認して、もっと笑顔になった。小さな命でも生きているってとても幸せ。そんな風に思った。そして自分も、たとえ羽が無くなったとしても、とにかく生き抜いてみせると小さな希望を胸に光らせた。ニワトリもコッココッコとうれしそうだった。

 

住むところのなくなった私たち家族は空き家だったお向かいの家に住まわせてもらうことにした。その家はすきま風が寒く、なにより南京虫がいっぱいいたから、かゆくてかゆくてたまらなかったけれど、とにかく住めればよかった。なんとか使える生活用品を我が家の焼け跡かたひっぱり出してきてそっちの新居へと運んだ。そうしていたら、完全に焼けてしまった、そうあの時の台所があったあたりで私はとうとう見つけたのだ。

「‥米びつだ、お母さん、米びつよ。」

母を呼んだのは一人で開けるのが怖かったから。中に真っ白でサラサラしたお米が入っていたらどんなにうれしいことだろう。でもきっとお米はおこげのように黒く焦げて炭のようになっているんだろう。お腹は空いているのにこれについてはもうあきらめはついていた。そしておそるおそるそのフタを開けた。中には黒くも白くもない、赤だ、お米が真っ赤になっていたのだ。なんとも不気味な光景だった。どっちにしろ期待はしていなかったものの、この裏切られようにはつらいものがあった。私はその真っ赤な米を黒く汚れた指先で静かに触れてみた。まだ少しあたたかかった。

「あんなにピカピカしてて、サラサラしてたのに‥もったいない‥。私、あの時これ取りに行ったのよ。だって貴重なお米だったんだもの‥」

声はだんだん小さく弱くなっていった。涙がポロポロ乾いた灰に深く穴を開けていくようだった。やっぱり悲しかった。すごくすごく悲しかった。母はそんな私の肩を優しく抱き、そっとそのフタを閉じた。

 

***

 

私は閉じていたまぶたを開いて天井を見た。この部屋は暗闇にかわりはない。でもちっとも怖くなんかない。心はやすらぎの中にある。”やすらぎ”こそ戦争中には感じられないものだった。戦争は人間の心を痛めつけ、人間の命を奪い、私たちに自分たちの生きる現実を嫌悪させた。そこから逃げたい思いだった。

そう思えば私は逃げることばかりしてきた。追いかけてくる焼夷弾を背に逃げた。米を残して燃えていく家を背に逃げた。逃げなければ生きられなかった。立ち止まったらそこで終わりだ。もっと人間らしく正直に堂々と生きたい、そう願って不安と共に逃げて、昭和20年8月15日、たどりついた場所には”自由”があった。でもそれは戦争から得たものなんかじゃない。生きるために走り続けた私自身のものだから。

生きることには未来がある。気が付けば窓から朝陽がさし込んでいる。まっすぐで、あたたかい今日という日の新しい光。この光が私の未来と、地球の平和を明るく照らしてくれるはず。そう信じて私は未来へ一歩踏み出した。