新型コロナ 子どものマスク問題
マスク息苦しくて、嫌い。
私は気持ちよく生きることを最も大事にているので、マスクはしたくない。
しかし、現実としてスーパーや学校などマスク着用を求めてくる場面にあっては、私も従っている。
高齢の方や基礎疾患のある方など、「怖い」と感じている人の助けになりたいとも思う。
ただ、在宅自営業で自然との仕事も多い私にとって、マスク着用時間は「1日のうちのほんの数十分」に過ぎない。現状、我が子を含め、多くの人が1日のうち連続数時間をマスクで過ごしているのだ。医療・介護従事者は以前からそうだったろうが、大人はまだしも、子どもはかわいそうに思えてならない。
呼吸は人の活力の源だ。
子どもは心肺機能も、酸素を必要とする脳も、身体すべてが発達段階にある。
心は見えない。でも心を感じたいから、せめて顔全部を見たい。
子どもの成長にとって、とても大事なこと。
良いか悪いかを別にして、時代とは変わっていくものだということは理解している。しかし、身体性をここ8年探求してきた私は、やはりこの違和感をどうにかしたい。時代の変化、環境の変化に、今の最善を尽くしたいのだ。
この問題に対峙する時、クリアにしなくてはならないことはいくつもあるが、今の私ができる整理は以下。
(1)ウィルスと人間の関係をどう考えるか(自然観)
(2)コロナは子どもにどう影響するのか
(3)マスクは飛沫防止に役立つのか
(4)自分を感じ、それぞれの選択を尊重する世界とは
(1)ウィルスと人間の関係をどう考えるか(自然観)
こんな気持ちのいい春の陽を受け、風に吹かれて、花は揺れる。美味しいご飯も、農家のおかげ、稲のおかげ、菌のおかげ、水のおかげ、ありとあらゆる生命のおかげ。生きているということは、なんと奇跡的なことなのか。
生きているということは、生かされているということなのだ。
あらゆる生命が与え与えられ、循環し、その一部として、今こうやって私たちも存在している。ヒトもウィルスも、オケラだってカエルだってアメンボもだって~、その必要があって、この地球に生かされている。そうでなければ絶滅していく。それぞれに生きたいと、精一杯もがきながらも、淘汰(とうた)される。
たまに母屋のTVを見ると、変異ウィルスのことをニュースで騒いでる。そもそもウィルスの進化のスピードは人間の比ではない。変異株の発見は、人類(科学者)なりに生きたいと、もがいた結果。
みんな、とにかく、生き残りたいんだ!
種の保存は、どんな生命にとっても、最終目的。
だから、私たちには、子どもがいる。(そして子どもは大人の進化系だ)
(2)コロナは子どもにどう影響するのか
東洋経済社のリアルタイム推計「年齢別の陽性者数」によると、昨年以降日本における10代以下、10代のPCR陽性者はあれど、重傷者、志望者は0である。
https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/
富山大学の種市先生の資料がよくまとまっている。
世界的に見ても、10代までの若年者の感染や重症化は少なく、休校やマスクを対策に入れていないスウェーデンでも同じ傾向にあったとのこと。
資料では、冒頭でR元年に比べR2年の方が熱中症搬送数が増加したことや、中国でマスク着用での体育中に子供が死亡した例なども挙げている。
また、休校、イベントの中止、授業内容の変更など、過度なコロナ対策が子どもの発達に悪影響を及ぼすのではないか、という指摘に共感する。誰とも楽しめない給食、合唱なしの音楽、プールや修学旅行の中止‥そんなのもう嫌でしょ?!
(3)マスクは飛沫防止に役立つのか
「飛沫」は、医学的には「水分を含んだ直径5μm(マイクロメートル:1 mm(ミリメートル)の1000分の1の大きさ)以上の粒子」で、目に見えるほどの唾液であれば重さですぐに落下するが、小さくなればなるほど空中を漂い、別のヒトが吸い込む確率が高い。咳やくしゃみや発声に伴って排出される飛沫は主に>5 μmの液滴らしい。
http://www.siej.org/sub/sarscov2v1.html
種市先生が座長を務める富山市の「新型コロナウイルス感染症対策検討会議」のおたよりには、「マスクは自分が感染していた場合に、飛沫を飛ばさず、周囲の人にうつさないようにするためのもの」であるにも関わらず、「マスクは子ども自身の感染を予防するために着けている」という回答が約半数を占め、「マスクの役割に関して誤解が多い」と書かれている。
https://www.city.toyama.toyama.jp/data/open/cnt/3/21381/1/taisakuleaf06.pdf?20210318094518
マスクの効果については、東京大学医科学研究所では「布マスクではウィルスの”吸い込み”量は20%~40%、”吐き出し”量は60%~80%抑えられた」との研究結果。
https://www.ims.u-tokyo.ac.jp/imsut/jp/about/press/page_00042.html
理研の研究でも「5マイクロメートル(ミクロン)の粒径の飛沫は不織布マスクで70%程度、布マスクで60%程度抑えられた」との結果。
https://pc.watch.impress.co.jp/img/pcw/docs/1272/611/html/07_o.png.html
であれば、症状がある人はたしかにした方がマシだろうが、無症状の人までマスクを徹底するほどのメリットはどれほどあるのだろうか?
むしろ「その分がマスクと顔との間に蓄積されていく」と思うと、より不衛生に感じるのは私だけ??自然にさらしてあげると自浄作用の恩恵に預かれる感覚が私はあるのだけれど?
(4)自分を感じ、それぞれの選択を尊重する世界とは
うちのムスメさんはこの春3年生。学年8人、全校60人程度に緑豊かな広い校庭という環境で、コロナ流行当初は混乱もあれど、現状は適度にリラックスして、適度に緊張して、通学している。マスクはたまに鼻出しになっているが、「もう慣れた」とたいして気にする様子もない。「体育でもマスクすることになった」と嘆いていた時もあった。去年の夏は顔を赤くしてるのにマスクまだしている、というシーンもあり、これから暑くなるにあたり、ムスメさんにも、先生たちにも、マスクとの関係性を今一度考えて欲しいと強く思う。
学校でもよく言われる「自分で決める、自分から動く」その本質が問われているとも思う。それぞれが感じ、それぞれで決めるということだ。もちろん、状況を判断する必要はある。臨機応変をたくさん練習してほしい。「みんなしているから」は理由にならない。
先生たちに気をつけて欲しい、というか、私と感覚のすり合わせが必要と感じるのはその点だ。「こうしなさい」や「みんなのために」が私は怖い。戦前の「お国のために」の教育を繰り返してはいけないんだ。
自分の中の快/不快に敏感になって、自分にとって心地よい選択をしてほしいんだ。それこそが「自分らしさ」だと思う。
先生がそれに対して「良い/悪い」「エライ」などと評価すれば、子どもは評価に敏感になって、自分らしくあれない。大好きな友達の目があればなおさら、評価を気にしだす。
種市先生の言うように「ゼロリスクはあり得ない」ということを受け入れた上で、不確実で変化の激しいこの世界では「柔軟であること」が大事だと思う。色々なことを試すこと。体験すること。都度、話し合い、最善をみつけること。
ムスメさんが1年生の時、8人で「いきいき生きる!」の群読発表があった。
まさにコロナウィルスは私たちにどう「いきいき生きる」のかを問いかけている。
画像は子どもの笑顔を守る会さんよりお借りしました。