エッセイ20180207
エッセイ20180207
二泊三日の東京帰省から戻り、日常を取り戻す。もう、完全に私にはこちらがホーム。東京にいる間はどうも魂が抜けていた。火にあたりながら、夫とあれしよう、これしようといつものように打ち合わせ。園を休むことにしたムスメさんと坊やはおばあちゃんを予約済み。
いつもの塗料で汚れたスノボパンツに、いつものツギハギを当てたユニクロのダウン(ダウンって針と糸で直せない)、毎度ハサミと手袋を詰めるポッケがほつれいるいつものエプロン。それらの野良着セットをまとい、冷たい空気の中に出て行く。嗚呼仕事ができる!インフルエンザで5日は倒れてて、病み上がりモードの内勤しかせず、その身体で東京に行っていた、この2週間。私は自分の職種がなんだかよくわからないが、野良仕事に喜びが湧いてくる。
今日はまず破れたビニールハウスの補修。脚立の足を調整しながら、私の仕事道具といえば脚立か?!と笑える。
ビニールハウスを補修して、これでヘナも少しは暖かいだろう。その後、開拓中の椿森のゴミ拾いを少しする。東側の竹や大木を切ったので、去年まではついていなかった場所に椿の花が咲いている。樹齢のある藪椿は竹に負けまいと背が高い。あんな高いところに実がついて、どう拾おう?(実から油を絞る)今年は椿森の東側にネットを貼るのもいいかもしれない。
お義父さんやそのまたお父さんが捨てたともわからないゴミを拾いながら、木々に囲まれた清々しさに、この土地に帰ってきた喜びを感じる。
朝、夫といつものように世界について談義。なんで人は自分が理想とする国家に移動しないのか、という話。政治に様々なイデオロギーがあってもいい。それを選べれば。でも人にはふるさとがある。これは地縁や血縁のことだ。政治ではない。だから、そう簡単にには移動しないんだ、と。
町育ちの家系で私の実家にはふるさとを持っている人がいない。実母はいつかは実家を離れてマンション暮らしがしたいというくらいである。私にはふるさとが概念でしかなかったが、こちらに住んで、こうやって自然と仕事して、ゴミを拾ったりしているうちに、ここはふるさとだと思うようになった。先日アフリカで写真をとっている女性が「みんなそれぞれのholly nature を感じて欲しい」と言っていた(netflixのTales of Light というドキュメンタリー)が、まさに私にとってのholly natureはこの六連の海や森だと思った。
その後は一人で黙々と剪定。家の周りの梅の木7本、梨の木2本。当然木に登る。私の仕事はこれなのだ。木に登るような仕事。見渡す限りの緑。東京から帰ってすぐは本当にギャップを感じる。そしていつものように、私は木登りが得意だから、ここに嫁に来る運命だったと納得。冬になりコツコツと進めてきた剪定も、やっと終わった。
おやつは樹上完熟したキウイ。
#キウイの食べ方もみもみしてから手で剥いて食べる!#ウルスコパレス