2021フジロックの時代性、自由と思いやり。
KingGnuのアンコール最後は私の一番好きな「サマーレインダイバー」
歌や展開が美しくて好きな上に、繰り返される歌詞に共感する。
Dance Dance anyway it willl work, she says.
Anywayはどっちにせよ、どれでもいい、という意味でアメリカ人がよく使う表現(私がいたミシガン州では当時「anyways」と発音されていた)
It will workは事は運ぶ、どうにかなる、という意味。
私は人生で遭遇する様々な”今”をその時々で反射的に、または意図的に動くことを「ダンス」と捉え、比喩として”踊るように生きたい”とダンスの活動をしている。
私は田舎の農村に住んでいるが、村の活動に積極的に参加していたところ、古い考え方のおじさんに文句をつけられた時から、同じ村で活動をしつつも、それぞれの”ダンス”をするしかない、自分らしくせいいっぱい生きる、それを感じてもらうしかない、と思うようになった。敵意を向けられて、戦いたくないから。
Aか、Aじゃないか。
マスクをするか、しないか。
ワクチンは打つか、打たぬか。
フジロックは開催すべきか否か。
二元論では分断を苦しく感じるだけ。
相手を論破しようとか、変えてやろう、とかではなく、ただ自分として生きる。
「違いますね」と確認するだけで、反応しない。線をうっすら引いておく。
それは自分のあり方だけれど、同じ時間と空間を共有する集団では「思いやり」も大事。
マナーや思いやりって、必要以上はウザいだけ、場面によっても違う。
先日参加した『jam舞愛』という場で「マナー」をテーマに踊ったが、マナーとはその時々の自分と相手を感じることからそれはスタートするのだ。
King GnuのVocalの井口さんがこのフジロックの開催について、医療崩壊の危機が叫ばれる中、出演することについても迷って、答えが出ないままステージに立っていると泣いていた。常田氏もそれぞれの選択があるんだ、と。それって当たり前だけど、それさえも”正義”の名の下に批判の対象にされるこのご時世。演奏を聞きたかったけれど、折坂悠太氏は社会の現状を前に出演を辞退した一人だった。見逃したがMisiaさんはオリンピック開会式と同じ「君が代」を歌ったらしい。時代性をビシバシ感じた。オンラインで無料で見れちゃうのも、画質も音質もさすが一流でとても快適で、いいとこどりできて、「これも選択肢のひとつ」と納得できた。会場にいたら、雨もあれば、入場制限や距離も、そして感染リスクもあるが、リラックスして楽しめちゃう。マスク&声出し禁止のライブならば、むしろこっちのほうがいい。私にとってはフジロックの配信はある意味(アンチの人にとっては”皮肉にも”?)、新しい生活様式たるもののひとつであるオンライン配信の印象をポジティブにする体験だった!
でも、やはり、ライブの同じ空間と時間を共有する体験は特別だって、だれもが感覚で知ってる。トッププレイヤーの表現者たちだが、力の湧き方が、無観客ライブとはまったく違っただろう。感動が感動を呼ぶとはまさに。オンラインでの感動は、現場に叫ぶのを我慢しながらも感動する観客がいてくれたからじゃないかと思う。自由と思いやり、両方だった。
感染症にならないために生きているんじゃない。
誰かの迷惑にならないために生きてるんじゃない。
誰もが感動して生きたい(死にたい)って思いませんか。
医療崩壊については、コロナ陽性で受け入れ病院なく胎児が死産したケースなど、センセーショナルなニュースには正直動揺する。「さだめ」というのは誰にもでもあるのが真実としても、あまりに辛い。指定感染症2類やめれば解決するって議論はありながら、政治のトップがその判断をしない限り、医療従事者のみなさまにおいては現実は変わらないわけで、私も自分らしく生きるのに必要なことはなにか感じ大事にしながら、みなさまの健康をお祈りしております。
Dance Dance anyway it willl work