(疑似体験)愛する人を突然奪われる世界
小説や映画、ネットの書き込みも、誰かとのおしゃべりも、他人の世界のほんの一部を知ることである。誰かの視点を一時的に借りる、と言ってもいい。
最近ではVRの技術も進歩しており、ヘッドセットをすれば自分のいる世界がまるで誰かの世界になる。
この夏広島の高校生がVRで原爆当時の様子を再現しているというニュースもあった。ファンタジーも良いが、ドキュメンタリー(またはドキュメンタリーベイス)はいかに自分の世界以外の「この世」があったのかを知る助けになる。
この夏も8月6日や9日や15日は足速に過ぎて行った。3月11日と違って、戦争を体験したわけでもない私がソワソワするのはほとんどがメディア作品による影響でしかない。この8月は愛する人を戦争や災害によって奪われる世界の断片がまた私の中に増えた。
ひとつは、おおたかしずるさんのコンサート(すごい良かった)にてジャケ買いした『あの夏のまま』という作品。
長野に『無言館』という戦没画学生の遺作を集めた美術館がある。CDのジャケットにもなっている若き裸婦像画のモデルの女性が、おばあちゃんになって美術館を訪れ、残した画家への思い。恋人だった。「生きて帰ってまた君を描きたい」という彼の願いは叶わなかった。
彼女はその後結婚もせず故郷へ戻ったそうだ。このCDを聞いて思い出したのは、夫の大叔母のこと。夫家族には「畑のおばあちゃん(祖母)」と「台所のおばあちゃん(大叔母)」の二人のおばあちゃんがおり、大叔母は生涯独身だったそうだ。私がこの家に来る前に亡くなっているので会ったことはないが、なんとなく、これは彼女の世界かもしれないと想像した。真実は本人以外知るよしもない。
そして先週末の田原市『男女共同参画フェスティバル&しみんのひろば』にて、やっと見た『この世界の片隅に』。(以下ネタバレ含みます)
戦下、この広い世界の片隅に生きる一人のおっとり娘は、水兵になった幼馴染みから「おまえはほんと普通なことしかしない」と笑われる。たしかに彼女は家族を食べさせたり、繕い物をしたり、畑の番をする生活者としての毎日を主に生きている。でも空からの爆弾に襲われる、出戻りの気の強い小姑にイビられる、義父が怪我で入院する、姪っ子を繋いでいた自分の右手と同時に爆弾で奪われる。大好きだった絵ももう描けない。兄は戦死、父は病死、原爆で母の行方もわからず、妹は変なアザができて弱っていく。(1回しか見ていないので記憶違いだったら教えてください)
それが当時の世界のほんの片隅に生きている一人の娘に起きているのだ。それは普通であるはずのことを普通でなくする暴力に支配された世界。まさに異常、彼女の日常はひとつまたひとつと奪われ、それを日常に変えていくしかない。とてつもなく怖くて悲しいことが数年のうちに次々に起こる。戦争だからしょうがない、、んなわけねえ!!!と空襲を受けながら、さすがのおっとり娘も怒り叫ぶ。
そしてそこからまた生きていく。日常ができる。
いのちの危険に怯えなくてよい日常はなんと有難いことなのだろう。
映画会場を出て、チャリティTシャツを売っている宮城県女川で被災されたという女性と話す。職場で被災し、子どもと生きて会えたのは震災発生時から3日後だったという。住んでいたアパートは津波に飲まれたとのこと。
そして同じ日に見た画家の小林憲明さんが震災後の親子を描く『ダキシメルオモイ』。一番辛かったのが津波で亡くなったお子さんと、生き残ったお母さんの絵だった。
私の311以外の、あの時の三日間の世界の片隅の断片をまたひとつ増やす。
先程、寝付きの悪い我が子を抱きながら、この静かな時が、我が子が生きていることが、どれだけ幸せなことかと味わう。子だけは絶対に奪われたくないと強く思う。
2017年版ジェンダーと肉体、親子論
いい母親をやめて本性で生きることにした
いい母親であろうとがんばりすぎてた、ということに気づいた。
6月下旬の週末、いきなり左の肩と首に激痛が走り、2日ほど休んで日常生活は送れるようになったものの、ずっと痛みを引きずったままだった。そもそも3ヶ月ほど前から左の足の小指がずっと変だった。それをかばうように生活しながら、10kgと20kgをおんぶに抱っこで、ついに絶不調。所々の10円ハゲならぬ10円アトピーも再発。精神面もひきづられ、夫とうまく会話できず、苦しい。
20年来の友人でキネシオロジストの朋美に話を聞いてもらう。声が出て、気持ちが出て、涙が出る。身体が不調で、休みたい、休ませて、母親業も本当はなにもしたくない、とやっと言えた。
まずは自分を大事にしてください、と言われる。ムスメさんにも自分と同じように我慢してがんばるのを望む?と。
「身体の不調があるってことは、今までのやり方じゃあ、もうだめってことだから、なにか違うやり方を試してみる時だよ」
坊やが1歳を過ぎ、意思がはっきりしてきて、私を独り占めしたがるようになり、すこし離れると泣く、離れないように足を羽交い締めにするようになった。思いが叶わないと激しく抵抗する。その時の力がムスメさんの赤子時代と比較すると圧倒的に強い一歳男児。諦めないで抵抗しつづける粘り強さ。夫は「こういう時はママじゃないと余計に嫌われる」とお手上げ。
そう、子が成長しているのに家族が変化についていけていない。今までのやり方ではもうダメだと改めて気づく。苦しい時は変化の時。只今成長中。何かを変える時。
まず、本に頼る。本をまともに読むのも久しぶりだ。本など、メディア作品にはホント、タイミングがある。網縁(もうえん)とはまさにこのこと。
(三浦朱門と曽野綾子という作家同士の親が息子にとっては重荷だったという三浦に対して)曽野綾子:重圧でも仕方がない、というのが、私の考え。だって、変えようがないでしょう。それには、私は同情しなかった。みんな、それぞれ重荷を負っているということです。(中略)生きているというのは、重荷があるということですから。
最近、漫画の終了に際し、露出が増えている西原理恵子さんを描いた映画『毎日かあさん』も見たのだが、”重荷”がなんたるか、映像化されていた。(きょんきょんと永瀬雅敏の共演もいいよ、特にひっぱたくシーン)また、西原理恵子さんが「本性で生きている」って感じがした。
どんな親だろうが、子にとっては重荷である。そう言われれば納得がいく。
家族の業、と私は理解している。
私は自分が親として子に影響することをそれなりに恐れている。これをしたら可哀想かな、トラウマになりはしないかな、その一心で、自分の気持ちを我慢して、子の要求に応えることが度々ある。
もう自分の影響を恐れたってしょうがない。子はそうなるしかない。どんな親だろうが重荷であることは変わりない。親と子は絶対的な関係であり、家族劇場は役者も観客も家族で構成されている。親の行為が過干渉になるか、ネグレクトになるか、その程度に個人の感覚以外の物差しはなく、それで子が未来にどうなるかは誰も知り得ない。
たしかに、私の経験では、いい母親になろうとしてここ3ヶ月くらいは、穏やかな日々が送れていたのだった。”まだ小さいんだから甘えるのは当然(甘えさせてあげるのが良い親)”というスタンスでいれば、いちいち5歳児が「トイレ連れてって」「お尻ふいて」「きがえさせて」「抱っこじゃなきゃ食べない」「立って抱っこして」と言ったところで、”まだ”5歳、と思っていれば、私がどうしたいかに関係なく、イライラを回避できたから。
ムスメさんも安定していた。ムスメさんの話をよく聞いて、穏やかに過ごせる、という意味では成功した。でもそれは自分に「耐える」ための麻酔を打って暮らしているようなもので、実際、私はどうしたいのか、については蓋をしていたのだった。
思うところがあり、学び始めたNVC(ノンバイオレーションコミュニケーション)の本でも、私は無意識的にジェンダーに縛られていることに気づいた。
とりわけ女性は、自分が必要としていることを表現すると批判されやすい。何世紀ものあいだ、愛情深い女性のイメージは、自分が必要としていることを押し殺して人の世話を優先する自己犠牲的なイメージと重ねられてきた。女性は、自分以外の人の世話をするのが最高の務めという社会的教育を受けてきているので、多くの場合、自分が必要としていることを無視するように学んでしまっている。
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曽野綾子はこうも言う
親はいい親になろうとする。それはね、親に自分の人生がないからですよ。自分の人生を生きたらいいんですよ、親が。
真っ白なキャンバスのような子どもは、親との関係をはじめとして世界を学び、一人の人となっていく。子は、親の人としての学びの延長線上に生きる。そしてその”ハンディ”を活かしたり、抗(あらが)ったりして、親の見えぬところに飛び立っていくのだろう。
私は自分の本当のニーズをおざなりにせず、本性で生きることにした。
まず、計画としては今月21日に坊やの授乳を辞める。そのためにカレンダーに毎日アンパンマンを描いてカウントダウンしてる。ムスメさんが触るのも終わり。おっぱいなくしても、女親にしかできないことがあるのだろうか?なければ良いような、そんなはずがないような。これについてはまた話そう。
そして、私自身の大きな変化としては、髪型と、母親業をしない一人の朝を始めたことだ。おかげで先週から大きく流れが変わった。OSバージョンアップ。新しいフェーズが始まりました。