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地球平和の前に家庭平和

生きるための“ものの構造”への理解

“311以降”という前置きは日本人にとって、また原発問題を語るときには世界中にとっての共通言語だろう。2011年3月11日の前後で考え方が変わったということを示す言葉だが、一方で考えを変えずに(もしくはそれに目をつむって)暮らしている日本人も多いと思う。

311で私が一番変わったこととは、恐怖の原体験をしたということと、“ものの構造”についてあまりに自分が知らない無責任な大人だったことを思い知ったことだった。

 

夫との結婚と今の生活へのシフトを決めてはいたものの、当時私はまだ東京に住んでいた。あの日は、東北の方々からは比較しようが無い程軽度ではあるけれど、私は人生で初めて被災した。地下鉄で一人でいる時に大きな揺れを感じ、停まった車内にしばらく閉じ込められ、地上から歩いて向かった新宿駅は混乱していた。その後続く余震に築深のアパートは大きく揺れ、携帯やテレビの地震アラームの音に何度も脅かされた。

 

「いつまた大きな地震がくるか」「放射能の影響は」という恐れが頭から離れなかったのはどのくらいだっただろうか。人は忘れられるから平穏を感じられる。2012年にムスメが生まれた後も「今大地震が起きたらこの子をどうやって守ろう」という思考があったが、いつのまにか完全にリラックスして過ごせるようになっていた。いくら福島や東京から離れようが、地震放射能(浜岡が近いこともあり)のリスクは常にあるにもかかわらず。しかし、少なからず今日という日はあの時の気持ちを思い出させる。

 

また自分が生きていく上で必要な“ものの構造”について私はあまりに知らなすぎた。原発に反対する“層がいる”ことは認識していたが、他人事だった。福島で発電した電気で暮らしていたことも、水が葛飾の浄水場から来ていたことも、この事故をきっかけに初めて知ることになった。交通網が混乱する中、東京では水や生活用品が品薄になるなど、都市部でライフラインを確保することのコストの高さを目の当たりにし、東京で大地震が起きることを想像すると恐怖だった。

 

震災翌日から現在住む愛知県田原市に一時的に避難していた私には、TVやネットで流れてくる東京の様子が異様に思えた。「まず生きていくには」という命題を正面から投げかけられているのに、家族をおいて会社に向かう。「“日常”を送ることがまずは心の平穏につながる」というような意見も聞かれたが、実際電車のダイヤは乱れ、駅はパンパン、私には到底そうは見えなかった。自分の関心は「まず生きていくために必要なものの構造への理解」に向いているのに、目の前にある“仕事”は今必要なのか?という疑問しかなかった。

 

311以降、そして偶然にも1年後の3月11日に一人暮らしをしていたアパートを引き払い、現在住む愛知県田原市に移住することになり、私の暮らしは大きく変わった。家を自分で作る程、研究熱心で創造力がある夫との暮らしでは、生きていくための“ものの構造”について学び、それを可能な限り再現するのが仕事になった。衣食住に必要なものを「できるだけ身の周りにあるもので済ます」ようにしている。ただ、自分たちで試しながらやるというのはなんとも時間がかかる。自然物を利用しようとすれば天気や季節にも左右され、会社の営業目標のように3ヶ月単位で結果を出すような世界ではない。

 

少なくとも、防災対策という意味では、今この家にいて大地震津波が来た場合でも、しばらくは日常に近い暮らしが送れるのではないか、という見込みはある。水は屋根の上の太陽温水機内に200ℓが2台あるし、海辺には湧水もある。食べ物は畑があるし、野草も食べられるものかどうかなどお義父さんお義母さんに知恵はあるし、自分でも徐々に学んでいる。お湯の確保や暖をとる手段は以前に書いたように太陽温水機と薪ストーブがあるし、森があるので薪はあるし、灯油とプロパンもある程度在庫がある。電気はハイブリッド車のバッテリーがあるが(コンセントつき)、まだまだ電線がないと少ないのは否めないが。何より、普段から生きるための“ものの構造”について意識しているのと、していないのでは全然違うと思う。

 

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私たちも世界的に見れば、電気や水は使いたい放題で贅沢ざんまいの高エネルギーな日本人であることには変わりない。電気や水などは、自給できるような方法を常に考えており、時間はかかるかもしれないけれど、きっとそうできると思っている。

 

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