nature and tech.

地球平和の前に家庭平和の前に自分平和

Ecstatic dance エクスタティックダンスの世界

1月末に行ったバリ島では天気にも恵まれず、修行だった、と以前書いたが、最終日にスペシャルな体験ができた。もうそれは感動的でこの世界の見え方を変えた。

 

夫に子どもを託し(Thanks!)、UbudParadisoという映画館兼ワークシップスペースでecstatic danceのクラスに参加した。この旅では珍しい晴天、見知らぬ町を自分のペースでゲストハウスからスタジオまで歩けるだけでウキウキ絶頂!私は冒険と自由を愛していると改めて思った。

 

ecstatic danceは音楽とともに自由に身体を動かす場で、「動く瞑想」とも言われている。昼間で、お酒はなくファシリテーションがある、ということ以外には、クラブダンサーにとっては何も目新しいことはない、「ただただ踊る」のである。

www.ecstaticdance.com

 

私は踊るのが好きで、幼い頃から踊っていた。リトミックに、幼稚園のお遊戯会、創作ダンスのコンクール、ストリートダンスのショーケース、ジャズダンスの公演‥いつもダンスに伴う活動に私は熱中していた。青春の大きなパーツである。そこには、いつも見本となる動きがあり、発表の場がゴールとされ、それはそれはプレッシャーであった。

 

今だに見る決まった悪夢がある。

ステージで息が上がって、ダンスのフリが飛んだり、テンポが遅れたりして、やばいっっ!!!胸がドキドキしてバッと目が覚めるのだ。

 

群舞の発表は誰かのためのダンスにならざるをえない。立ち位置も決まってる。和をみだしてはならない。めちゃくちゃ息があがっているのに笑顔を作ったり、角度を意識したりする。相当な踊り込みの末の陶酔か、天性のショーダンサーでない限り、それを気にして踊ることになる。そして悪夢が現実にならないよう、極度に緊張する。楽しいのだけど、自由ではない。

 

私はEcstatic Danceに惚れ込んだ。徹底的に自由に踊れる。場の力を感じた。音楽に抑揚があり、様々な感情が引き出される。Paradisoファシリテーターの音楽のセンスがすごくマッチしてよかった。私はクラブやパーティで踊るにも若干周りが気になったりして、思いっきりエモーショナルには踊れなかったのだが、ここではそれができる。誰のためでもなく、誰も評価しないから、変な動きだって構わない。疲れたら休めばいい。スペースも広く、みんな走り回ったり飛び跳ねたり、寝転んだりしている。

 

2時間は長いだろと思っていたがアッという間だった。参加者は老若男女、それぞれに動いたり、動かなかったり。彼らの感情、命の輝きを感じた。私も没頭した。慣れているダンサーなのだろう、身体と身体をべったりくっつけている人たちもいて、最初のうちはそれに驚き、警戒していたところはあった。一人で踊りたかったのだ。が、そのうちに誰かと踊ってもいい気になってきて、アイコンタクトがあったり、なかったり、つかず離れず、一緒に踊ったのも楽しかった。エネルギッシュな場だった。

 

最後にしたい人だけシャアリングのサークルがあった。ファシリテーターの方が動きでも言葉でもいい、と言うので、身体の底から湧いてくる感謝が動きになった。いつもはおしゃべりな私もその時はもう胸がいっぱいで言葉が出ず、でも体が動いた。涙を流す人もいて、私も泣いてしまった。美しかった。世界が輝いて見えて、ダンスの前と後では違う人間になったようだった。

「ある」ことに気づき生きる in Bali

kinoがトランスして困った翌朝、プールで遊んでいると、kinoが(借りているビラの)外に行きたいと再び激しく泣き出した。こちらは水着だし、uiちゃんはまだプールから出たくないと言う。着替えてからにしよう、などと声をかけるも聞かず、泣き叫び続ける。すると隣のビラの住人が二階の窓から英語で怒鳴ってきた。おまえのところの子供は昨日の夜からずっと泣き続けていると。I am so sorryと謝るも、「You do nothing for that」と言われたのにはカチンと来た。「I Do my best, you dont know my boy, he is like that」と言い返すもモヤモヤしたまま。

 

彼女にkinoがどんな坊やか知り得ないように、私も彼女になにがあってこうも声を荒げるのかわからない。そんな当たり前をわかっていても、私は責任を感じて落ち込む。彼女は休息や静寂を必要としていたのだろう、などと共感を送ろうとするも、悔し泣きした。2歳10カ月のイヤイヤ剛腕のkinoを連れての海外旅行なんて、最初から計画ミスだったんだという気になってくる。旅が終わってみても、正直2週間は長すぎた。楽しかったけど、苦しかった。仕事を休み、お金を出して、私は修行に出たのだった。とほほ。

 

一人で海外に出かけていた時とはもちろんのこと、前回uiちゃんが1歳10ヶ月のときに3人で行った旅とも、今回は相当に違っていた。私にとっての旅とは好奇心のままに新しい景色や人と出会い、刺激をもらい、スリルと発見に満ちた冒険。私は新しい世界を知るのが好きで、冒険のニーズが強いと思う。しかし子どもがいると子どもたちの安心と安全が最優先になる。子どものご機嫌にもよって先に進めないことは多々あり、バリの気候もあり、歩いて移動もほぼできない。異国の地にいるのに、歩いて塀の外にもなかなか行けないことに私は歯がゆさを感じて苛立っていた。子ども二人は私にべったりで、ちょっと周囲の様子を探検に出られるだけでも夫が羨ましかった。

 

ほんと私ってバカだなと思う。普段子どもとべったり一緒に過ごすのが苦痛で、義親や保育園にお世話になってなんとか生き延びているのに、自分で2週間も子どもと夫と4人だけでの生活を設定してしまったのだから。毎日繰り返される姉弟喧嘩の騒音を感じながら、かなり早い段階から「この旅は修行だ」と思い出していた。

 

夫との協力でなんとかGreenSchoolBambooFactoryの見学は終えたものの、ウブドの街を見たり、ヨガのクラスに参加するなど、なかなかできなかった。しかも雨季。運悪くそれはそれはよく雨が降ったのだった。事前に見ていた「雨季でもそれほど問題ないですよ」の書き込みは全部日系ツアー会社のマーケティングだったんじゃないかと今では疑っている。さらには海も荒れて周辺の島へのボートは欠航、波が高くてスノーケルもできず。

 

しかし、「ない」ことに目を向けてもしょうがあるまい。「ある」ことに目を向けなくては。

実際、素晴らしい竹の建築や、GreenSchoolをこの目で見て体験することができたのだ。中学ダンス部の時からの不思議な縁である「ケチャ」も見ることができた。寒い日本の冬から逃れることができた。なにより子ども二人は健康そのものである。こうして異国の地で家族4人協力しながら今日も生きている。

 

そもそもヨガに行きたのに行けないと苛立っていては、それは全くヨガ的な態度ではない。

日常を冒険し、今ここにヨガしようではないか。深呼吸。

私の場合、夫と二人の子どもとの生活だ。目の前で泣きわめく子と、怪我や病気を患う夫と、それに動揺したり苛立つ自分と、今を生き延びることなのだ。

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異国のスピリチュアルな刺激で私が思い巡らすのは、家族との関係や、いつも住む土地のことである。魂が帰る場所を再確認させられた。スピリチュアルというと浮世離れした志向のように思っていたが、実は地に足をつけ自分の世界に、関わる生命に、じっくりと気を向ける道なんだと思った。

 

いかに愛に気づき生きるか いかに「ある」ことに気づき生きるか。

聖人でなくても、今日を家族や傍にいた人に、足元の小さな生き物に、地球に、自分自身に、愛をもって接し生きたか。

 

人間は完璧ではないし、感情的である。だから思い通りにならず落ち込む。苛立つ。苦しむ。その過程で愛を思い出せなくなる。愛が感じられないこともある。それがさらなる苦しみの原因になる。それらを受け入れ、心落ち着かせ、あるものにじっくり気を向ける。その時々を生き延びる。それしかない。

祈りとトランス in Bali

耳をつんざく声で「ママあっち行ってー!!!!」と一晩で100回は言われた気がする。一度眠ったと思ったkinoが急に泣き叫び、餓鬼と化す。一階に行けと言ったり、二階に行けと言ったりして聞かない。嗚咽し、階段で吐く。kinoはたびたび手が付けられなくなるのだ。お茶やお菓子を提示しても本人が落ち着くタイミングまで、こちらの声は届かない。彼がこうなったらただ待つしかない。途方に暮れる。

 

バリ旅行の六日目、満月。夜中にも関わらずそう遠くない場所から祭りのビートが聞こえてくるウブド郊外。それに応えて犬や鶏が鳴く。満月って怖い。満月は”出ちゃう”んだ。いや、単純にkinoの昼寝が遅かっただけか。

 

今回のバリの旅は竹の建築技術を見ることを目的として来たが、今日になってどうやらこの旅の意味がスピリチュアリティの再確認だと感じた。苦手意識を持っていながら、確実に興味を持っている世界観。不思議な霊力のようなものを持っている人や話につい惹かれてしまう。夫も、姉も、私にとってはそういう素質があるように見え、刺激的な存在だ。オウム事件世代なのでスピリチュアリティの共有(集団意識)に警戒心が強い。何より自分はなにか特別なものを見たり感じたりしないただの人(だと思っている)なのでそれについて語る資格がないように思っていた。

 

その日はガイドのムーンさんと恵さん夫妻のナビゲーションで彼らのご自宅と村の中にある滝の沐浴場にお邪魔させてもらった。満月の仏滅ということで、バリの人々は男は白いシャツと帽子、女は黄色や白にそれぞれ布を腰に巻いた正装で、身を清めようと寺院や滝などの聖地に集まる。自撮り棒で記念撮影している若者もいざ自分の番がくると、ふっ、と違う顔になる。そこには確かに宗教心があり、厳かな祈りがある。ある世界へのチューニング。

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滝に打たれて大声をあげたり、身体を揺らし続けたり、嗚咽して泣く人が何人もいたのが興味深かった。ガイドの恵さんの8歳の娘さんが「あの人とあの人がトランスしてる」と教えてくれる。気持ち良さそうだった。滝に打たれて大声をあげられる場が彼らにはある。清める、綺麗にすることの重要性をムーンさんは教えてくれた。”出す”のは大事だよね。

 

お坊さんの祈りによって男が火に飛び込む(観光向けの)トランスダンスもみたが、バリ人はトランスを身近な現象として受け入れているようだった。「あ、あいつトランスしちゃったな」てなノリで。

 

夜中に叫び続け、こちらの声も聞こえないkinoはトランスしちゃってるんだと思った。もうそれは受け入れるしかない。こちらも祈るしかない。愛の中に休んで、と。ママあっち行けの意味を考え出したらキリがないのだけど、私はkinoに愛を送るしかない。愛の中に休んで。愛の中は大丈夫だよ。最近知った日本語のキルタンを歌う。

 

私も「思いを込める」ということ自体はしていると思う。だけど、それを祈りとしては理解していないし、宗教的な態度もない。バリ人は毎日お供えをして祈る。小さな頃から家族でそれをやる。kinoは相当なおじいちゃん子で、毎朝一緒に仏壇をお参りして般若心経を唱えているからか、バリ島のいたるとことで独りでに手を合わせていたのには私も驚いた。

 

宗教的な態度とは習慣と型によるところも大きい。それは鶏が先か卵が先かの議論なのだが、そもそも祈りが身体に染み付いている人にとっては、この論点さえ無い。ただ祈ることができるのだ。kinoは私と違って祈る者。私は祈ることが身体に染み付いていないとつくづく思う。

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おそらく私にとっての祈りは歌なのではないかと思い至った。歌というのも型のひとつである。歌手ともなればある程度型の決まった同じ歌を何度も何度も歌うのである。私の場合は、我が子に歌う子守唄が祈りの最たるもの。愛の中に休んで、ねんねんころりよ。安らかに眠って。そして私に自由を!!

 

愛と祈りについて書こうなんて、身の丈知らずで勇気がいる。愛も祈りも気の話である。最近夫となんでも気のせいということで話が終わるのだが、バリに来てトランスする人を見れば益々自分にとっての「世界」なんて全て気のせいだと思えてくる。kinoが泣くのも気のせい。お後がよろしいようで。

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