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地球平和の前に家庭平和の前に自分平和

『ラバウル戦記』と映画『奇跡のリンゴ』

終わろうとしている8月。前半は戦争のことを学ぼうという気になり、『ラバウル戦記』を初めてちゃんと読んだ。水木しげる=『ゲゲゲの鬼太郎』のイメージしかなかった私でしたが、これを読んで水木センセーが絵描きであり、文化人類学者でもあり、何より平和を願っている人だということがよくわかりました。

 

水木しげるのラバウル戦記 (ちくま文庫)

水木しげるのラバウル戦記 (ちくま文庫)

 

 

そして先日男女共同参画フェスティバルという地域のイベントがあり、『奇跡のリンゴ』の上映会があったのですが、これがすごく良かった。まずもって阿部サダヲ菅野美穂の夫婦という時点で良さそうだとは思っていたのですが、村社会について、家族の業について、モノカルチャーについて、自然農法と生命の循環について、幅広く触れられており、でも説教くさくなくて、感動しました。

 

奇跡のリンゴ

奇跡のリンゴ

 

 

(以下ネタバレ含みます)

木村秋則さんの講演会は聞いたことがあるのですが、奥さんの農薬へのアレルギーがきっかけになったことは知りませんでした。

また、一番印象に残ったのは義理のお父さんのこと。今まで周囲と同じように年に15回の農薬散布を毎年してきた慣行農家だった木村のお父さん(秋則さんは婿養子)ですが、秋則さんの強い要望で無農薬に切り替えることを同意、リンゴ農家の「組合」との調整はお父さんが買って出てくれるのです。

その理由のひとつが戦争でラバウルへ出兵し、周りが飢えやマラリヤで死んでいく中、なにか食べられるものをと、種を蒔いたところ、肥料も農薬もないのに、でかいナスがなったという経験があったから。お父さんはラバウルの土と死んだ戦友の写真を仏壇においており、毎日手を合わせているのです。

 

水木センセーはラバウルの現地に暮らす人たちを「土とともにある人」という意味で敬意を込めて「土人」と呼んでいます。(現在は差別用語とされているようです)土人と仲良くなった水木センセーはいつも彼らから果物や野菜を食べさせてもらっては飢えをしのいでいたそうです。森に暮らす彼らにとって、日本がどこかも知らないのに、勝手に戦場にされて飛行機や爆弾が飛んでくるなんて、本当にヒドイ話です。わざわざ武器を担いで乗り込んでくる日本兵は飢えに苦しみ、自然におびえ、毎日上官に殴られながら、しまいには玉砕しろとの命令のままに無駄死にする一方、土着の民は森の恵みを得てのんびり暮らしている。

ラバウル戦記』の中での私の中のベスト土人エピソードは、赤ちゃんがその辺を裸でハイハイしていて、うんちをすると、豚や犬が奪い合って食べちゃう、という話。

木村さんは畑を森のようにすればいいのではないかと気づいてから2、3年でリンゴの花が咲くようになったとのこと。

 

なんだか、人間ってなにしようとしてるんだろって思わされることが多いです。

 

一方で薬を散布しても毎年律儀に花をさかせ、実をつけてくれるリンゴの木は死んでいるのかといえば、そうではない。彼らも生きている。実際、私が生涯で食べたことのあるリンゴはどれも農薬で綺麗に育ったリンゴばかりで、ピンキリあれど、美味しい。

木村さんの作るリンゴ食べてみたいな〜やっぱり違うのかな??

 

 

純粋さと探求心

旅に出て良いことのひとつに料理のレパートリーが増えるということがある。

おお、なんだこれ!という驚きと美味しさがあったら、家に帰ってから「あれ作ってみよ」「あんな感じでスパイスいれてみよう」「これしたらどうなるか試してみよう」といった類の「発想力」が強くなっている。

そういう体験は料理に限らず、様々なジャンルで誰にでもある「旅からの学び」ではないでしょうか。

今回シャロムヒュッテではスタッフのKちゃん、シャンティクティではオーナーの朋子さんの料理どちらも美味しく、献立ありきで買うのではなく庭にあるものを中心にひらめくという文脈の中の料理という点が我が家と一緒だったので、より勉強になりました。

Kちゃんはレシピ本を見るのが趣味といいながら、一晩に5冊くらいに目を通しており、すごい探究心。初日に頂いた酒粕クリームのドリアが美味すぎました。あとデカくなりすぎたきゅうりを味噌汁に入れるという荒技!

朋子さんは薪オーブンで天然酵母パンを焼いて次の朝出してくれるという、テクニックがさすがでした。しかも合間に野外保育の同窓会やらWSで何人もの来客のホストをしながら。。経験の積み重ねを感じました。

 

料理という点を例に出しましたが、料理は最近まであまり興味のないジャンルだったんだけれど、さすがにこの5年この土地で毎日3食料理をしていたら人生でも上位の関心事に昇格したんだなあ、とこれを書きながら気づく。学びは自分の中に気づきの種があるとより詳細になるもので。

それが「成長」ということかもしれないなあ。今回はムスメさんが他の子どもたちと遊ぶ姿を見ては彼女の成長を感じる旅だったけれど、今ふと自分や夫のここ数年の成長も感じられる旅だったのではなかろうかと思いました。

「探究心」はどこまでも続く。

今回シャロムヒュッテとシャンティクティに合計1週間滞在して、人の、夫の、自分の、「純粋さ」と「探究心」についても思う。

自分が良いと思う選択をどれだけ連続コンボでし続けられるか。ちょっとの妥協もたまにはあるけれど、なるべくないように、「やりたいこと」をいっこづつ実現していく。100%とはいかなくても、高い水準で実現率を保つ。自分にとっての「気持ち悪さ」をなるべく残さないような選択をし、調べて、時間をかけて実現していく。その純粋さと探究心。

この良い景色の数々がそれを物語っているよね。

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mindlogchihiro.hatenablog.com

シャロムヒュッテの量り売りを体験してみて

夏休みをいただき尋ねた安曇野シャロムヒュッテのレストラン内にある量り売りコーナー。

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レストランのデッキからの眺めが素敵です。

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shalom.blog.jp

お鍋を持ってお豆腐を買いにいった経験のない私
量り売りコーナーを初めて体験することで学ぶことがあり
例えば
量り売りのレーズンを買うために、道中で買ったコーヒーのプラカップをゴミではなく再利用したこと
手持ちの容器がなくても、袋や容器が誰かが持ってきて置いてあって
量り売りだからって昔の農村のように家のザルとか鍋とかを持っていく必要もなく
そこに消費社会の産物の再利用がそれだけでもありがたく、便利で、かつ低エネルギーな選択で。
今新しく買っている容器の1割だけでも量り売りで持ち込み容器で買うと変化すれば、1年つづけて、10年つづけて、100人が、1万人が、100万人がそうしたら、それだけでもゴミはかなり減る。
 
パッと捨ててたパンやお菓子の袋もゴミとは見えなくなる。
プラゴミとして資源として回収してもらい、石油の動力で運搬したり、溶かしたり、形成し直したり‥のプロセスを経なくても、再利用される場がそこにはあり。
 
産廃施設の臭さに悩む私は、地元の資源化センターでまだ使えるものをたくさん見て、「ゴミではなく資源」と意識を入れ替えるも、「生活の中の不要なもの=ゴミ」をもっと減らせないかと思っていた。
 
そもそも不要なものを買わない、いつかのために取っておく(これがなかなか労力がいる)、ということに加え、
食品のパッケージなど不要なものを買わされなくても、持ち帰らなくてもよい環境も必要だと改めて実感。
同時に、量り売りの際の課題として「商品クオリティへの影響がないか」もクリアしなくてはならないと知った。
 
その一つが「衛生的かどうか」
シャロムではそもそも善意の上に全てがなり立っている。
共有洗面台の上に「ちょっとひと拭き。次の人が気持ち良く使えます」との貼り紙があったり、お風呂場のマットがズレてて「次の人が気持ち良く使えないでしょ〜」とオーナーのけんじさんに怒られたり‥量り売りを衛生的に使うには、利用者にこの精神が必要。
 
二つめは「光や温度、湿度が適しているかどうか」
これは保管方法によると思う。売れる頻度にもよる。
粉物とかはキャニスターに入れておくだけではおそらく虫がつく。油は遮光したほうがよいだろうし、ドライフルーツとかナッツとか豆とか、それぞれある程度の湿度や温度。
おしゃれっぽいディスプレイよりも、素材によって適切な供給方法を追求すべきである。それでいて取り出しやすさも。これは課題。
 
その辺の日本の現状、外国の事情や、日本の法律関係の現状については次回また調べようと思う。
 
uecologyでもいつか自家製椿油の量り売りやっていきたいなあ、と店主と話しています。