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地球平和の前に家庭平和

エッセイ20180209

エッセイ20180209

 

朝一で歯医者。大清水の森歯科さん。先生も衛生士さんも優しくて丁寧。華美でなく良い。ムスメさんも安心して受診している。

 

治療は今日で終了。歯を赤く塗って汚れを確認する。歯のフチが赤い。朝ごはん後の歯磨きはずっとサボってた。そもそも就寝前のをサボるから虫歯がここまで悪くなった。(もはや砂糖を子供に制限する気はない)子供の様子を平常時こそよく観察していないと異変に気づけない。ムスメさんは私たち夫婦の第一子として虫歯の犠牲者になり勉強代を支払ってくれた。

 

子どもの虫歯とか、爪が割れてるとか、肌がカサカサとか。「生きとりゃええだよ」と思いつつも、ダメな親だと少し凹んでは学ぶ。親業は何事もぶっつけ本番。失敗して学ぶしか道はない。

 

思い出すのは大学の同期のえりが子ども2人をつれてうちに遊びにきてくれた時のこと。お風呂上がりにしっかり子どもが膝に寝転んで歯磨き、歯間ブラシもきちんとして、人の家に来ても変わらず、習慣として身についている親子の無駄の無い動きに感心した。えりも子どもたちが習慣として定着するまで色んな葛藤があったことだろう。実際、彼女には卒乳とか幼稚園登園拒否の苦労話を聞いていて、結構壮絶エピソード満載なのだが、えりのように最低限の保健衛生を担保してあげることくらい、私もなんとかしたい。

 

えりは大学の友人の中では珍しく専業主婦を選んだ。旦那さんの稼ぎが十分だから、でもそれだけが理由ではない。外で働く能力があってもあえて母親業に人生の時間を使うと決意したということ。ムスメさんの通うこども園のお母さんたちでも、母親業に時間を使うことを純粋にやり切ってる人たちが私には眩しい。私はどうしても「自分のやりたいこと」に使う時間の工面にいつもソワソワしているからだ。なぜわかりやすく0歳から保育園に通わせなかったんだろうといつも思っては、これこそが私の背負うカルマなのではないかとさえ思い、これを書いている。

 

私はこの日記を書くことで、リアルな時間の使い方を公表したい気持ちもある。仕事と生活に区切りがなく、お金に換算できない暮らしについて。私が今メインにしていることは子育てだし、家族運営業だ。でも仕事を持ってる、その仕事が金にならない仕事が多く、実際大した稼ぎもない。幸い、自給自足に近い暮らしで、経済的に困窮していないので、稼ぐことに焦らなくてよい境遇だ。でも、どこかで稼がなくては、稼げる一人間でありたいという思いもある。いや、でも稼ぐだけなら、どんな方法だってあるのだ。問題は自分が納得できる仕事かということと、子どもから必要とされる自分の時間の使い方だ。そんな贅沢な選択に悩める、そう思うと、また回り回って、社会に還元しなくてはというざっくりしたミッション感を背負ってもいる。つまりは自分の能力を使わなければ、と。家族平和をどう実現するか、この面倒くさいセルフビルドの道や、”あるもので”暮らす工夫についてもっと発信しなくては、とも。

 

中高時代の友人の大戸洋子が最近こんなことを書いていた 彼女は3人の子供が幼い今「凡人力」を身に付けているんだそうな。誰もがやれると思われてる毎日のこと、でも本当にそれを習慣化するのには地味な葛藤と継続がなくては実現できないこと。

「好きなことを仕事に」はこの凡人力を忘れてはならない。

 

私の場合例えば何千人の前で話すことができるという能力があっても、子どもの歯磨きを習慣化することができなければ、生活する人間として自分を誇れない。単なるズボラを悩みすぎかもしれないけれど、私は今そういう価値観で生きている。