nature and tech.

地球平和の前に家庭平和

自分平和を取り戻す場「イドバ」始めました

9月11日に「井戸場(イドバ)」を始めました。毎月11日はイドバを開催し、子育て世代の女男(男女っていうのが普通だけどまずは女から)が集い、保育士さんもいる環境で、親同士で話せる場づくりをしています。

言い出しっぺは8月末に行われた『男女共同参画&しみんのひろば』の実行委員でご一緒した加子さん。加子さんは保育士の大谷さんとともに、ずっと前からこういうことをしたいと思いを温めていた方で、しみんのひろばで私がホストした『たはらde子育て井戸端会議』の後続企画的に「イドバ」としてスタートしました。(田原にスタバがないけどイドバはある笑by加子さん)

なんとなくでネーミングした井戸端会議でしたが、「井戸場」って漢字を当てると「イドバ」に続くのも良い気がしてきました。昔は集落に井戸があり、そこに集まる嫁さん連中が水汲みがてら世間話しや身の上話しに花を咲かせたのでしょう。それこそ女たちの息抜きの「場」になっていたのだろうから。たいていの人は語るのに「場」が必要です。

私はイドバを「自分平和を取り戻す場」にしていきたいです。散々言っている「世界平和の前に家庭平和、その前に自分平和」の意味は、まず自分が自分に嘘がなく、それを周囲(家族)に表現することによって、心地よく生きられることなのかなと最近考えます。

9月のイドバで印象に残ったことは、大谷さんが、地元出身者の女性は「自分が本当に思っていることは言ってはいけないこと」と思い込んで言えない傾向にある、と仰っていたこと。女は、嫁は、かくあるべき、という無意識のプレッシャーを女性自身も自分に課しているというのです。

私は「意見する」ことを臆さないので、家族や友人や職場などでも意見と議論は普通のことで、必要なことだと思います。夫も私と暮らすようになってから「意見をズケズケ言う」ことが悪いことだと思わなくなった、と言っていました。
そう、私は結構ズケズケ言うのです。
そんな私でさえも今年の夏までは、無意識に理想の母親像に囚われて、自分が本当に必要としていることをうまく表現できていなかったのでした。

mindlogchihiro.hatenablog.com

 

最近ではメンタルヘルス業界やスピリチュアル界隈の人以外でも「呪い」とか「抑圧」とか一般的なワードとして言うようになってきているのではないでしょうか。(呪いって言葉がオカルトじゃなく通じる社会ってスピリチュアルじゃない?逃げ恥?)この選択肢の多い時代に「女は、嫁は、かくあるべき」はもう存在しない、言うこと自体が「呪い」であり、それを言われた人は「抑圧されている」と解釈され始めている今日。無意識に囚われているジェンダーを脱ぐことが必要な時が誰にもあります。

現実には、本音で生きるのを諦めている人は多いのでしょう。脳科学者・中野信子氏は世界で比較すると自分を幸せと評価する人が少ない日本人をこう分析します。

logmi.jp

理想主義的要素の強い社会では、自分が何かを達成する、何かを実現するというよりも、なるべくバッシングを受けないようにするのが生き延びるのに最善の戦略となります。ほどほどの幸せ、ほどほどの利得ということが一番賢いやり方だと、両親にも先輩たちにも言われるのではないですか。
目立たないように、突出しないように振る舞って、自分の利益はこっそりと仲間内だけでおすそ分け、というのが一番いい戦略になります。あんまり希望のない話で申し訳ないようですけども、日本こそが、そうした戦略が適応的である社会です。これが世界的に見たときの幸福度の低さに反映されているという考え方です。

 

ということで次回もやります。

イドバ vol.2
2017年10月11日(水)14時から
田原市福祉センター ボランティアルームにて

色々書きましたが、まあ、話そ、ってことです。まったく堅苦しい場ではないので、お気軽に。参加連絡も要りません。スタバがないからイドバなら笑、私がハンドドリップで珈琲でも淹れようかと思ってます。もちろん子連れでどうぞ。

理想のママではないが、正直な一人間である

2日続けて朝家を出る頃になって肩が痛いから園休むと言い出すムスメさん。困る。

 

園を休む決定権は彼女にある。前夜に明日どうしたいか、自分で決めていいことにしている。たぶん彼女自身がそれをまだ完全に理解してない。

「昨日行くって自分で決めたでしょ」
「でも朝になって肩が痛くなっちゃった」
「私には園に行きたくないから肩が痛くなっているように見える」
「嘘じゃないもん」

「じゃあ園を休んで何をするの」
「坊や(弟)と遊ぶ」

坊やと遊んでくれるなら助かる。5歳の彼女に弟の抱っこはままならないが、危険を判断できて、アラートを出せるから。

「ママは遊ばないよ」

と釘を刺し、園を休むのもよしとする。つまり私はあなたと遊びたくない、という宣言。
その瞬間、ムスメさんと私の間に電流みたいなのが走る。少なくとも私は胸が痛いってことは事実。
かわいそうだと思うけど、それが私の本心。

わかるよ、園を休みたい理由はいくつかあるだろうけど、ママと遊びたいという気持ちもあるだろう。
でも今日は勘弁。昨日も急に休むことになって予定していた仕事(住みながらにして着工中の家の床の新設)にほとんど手がつけられなかった。それゆえにイライラしてしまって、疲れて一日が終わった。今日は8月の締めの作業を予定してるのだ(もはや6日)。

どれもやらされている仕事ではなく、私がやりたいと願う自分の仕事だ。私は常に家にいるし、家業の他、家事の範囲が広い我が家は金にならない仕事がおおいが、それらと対比し、子がそこにいても遊ばない、と決めるのも私次第なのだ。

子どもがいたら予定は未定。臨機応変、柔軟で楽観的に、その時できる仕事(家事含む)を済ませればよい。それはその通り。むしろ、済ませられなくてもよい、手を抜いて、そんな風潮が"頑張ってるママへ、大丈夫"的に優しく語られる。

テレビで大反響!あるお母さんが綴った言葉に涙が溢れる…母として何よりも大切にしたいものとは? | Conobie[コノビー]

度々シェアされるこれ系のメッセージに共感しつつも、私は心の底ではそれが許せない。少なくとも今日はそういうモード。その状況を少しでも思い通りに改善するにはどうしたらよいかと、もがく。結局もがいただけで、子の成長を待つだけという、時が解決してくれる他ないかもしれないのだが。

私は子の相手より仕事がしたい。正直に言おう、仕事に比べて、子どもの相手は、つまらない。やりたい仕事を完結させたい。

先日ムスメさんがこういった。

 

以前に夫からも「ムスメさんをうざかっている気持ちが伝わって、余計にママ、ママってなるんじゃないの」と言われた。
その当時は「やばい、この気持ちが(ムスメさんが傷つくし、母としてよろしくないから)ばれているのか、どうしよう」と不安に思っていたが、今は「ばれたか。それが私だから仕方あるまい」に変わった。だからムスメさんにこう言われた時の対応も「そっか。まあ産みたくなった時がその時だから、大人になって決めればいいよ」と言った。私自身「子を産むのが女の幸せ」なんて、今の時代思わない人の一人である。


そして別の日、将来の夢は何かという話をしている時、ムスメさんはこうも言った。
「優しいお母さんになる。」
「どんなお母さん?」
「○○ちゃんのお母さんみたいに、子どもの遊びにずっと付き合うお母さん。」
「そうだよね、○○ちゃんのお母さん優しいよね。私は(笑)?」
「ママはあんまり遊んでくれない。」
「がーーん(笑)ママも結構遊んでると思うんだけどな〜」(実際遊ばない日はないと思うが、誰にとっても母親とは絶対的な存在で比べられない)

私はせめて、子が遊びたがっても遊ばないことに葛藤する姿を見せることしかできない。いや、もがいて、前に進む姿なら見せることができる、と言い換えておこう。

 

肩が痛いので休みますと彼女の前で園に電話する。私だったら嘘ついてたら罪悪感が出るだろうけど、彼女はどう感じただろう。

やっとここまで頭がまとまった。私はもがいて、表現する。それが前に進むために私が学んだ唯一といってもよいやり方。ムスメさんともぼちぼち、この話をしてみることだな。

 

(疑似体験)愛する人を突然奪われる世界

小説や映画、ネットの書き込みも、誰かとのおしゃべりも、他人の世界のほんの一部を知ることである。誰かの視点を一時的に借りる、と言ってもいい。

 

最近ではVRの技術も進歩しており、ヘッドセットをすれば自分のいる世界がまるで誰かの世界になる。

この夏広島の高校生がVRで原爆当時の様子を再現しているというニュースもあった。ファンタジーも良いが、ドキュメンタリー(またはドキュメンタリーベイス)はいかに自分の世界以外の「この世」があったのかを知る助けになる。

 

この夏も86日や9日や15日は足速に過ぎて行った。311日と違って、戦争を体験したわけでもない私がソワソワするのはほとんどがメディア作品による影響でしかない。この8月は愛する人を戦争や災害によって奪われる世界の断片がまた私の中に増えた。

 

ひとつは、おおたかしずるさんのコンサート(すごい良かった)にてジャケ買いした『あの夏のまま』という作品。

あの夏のまま・・・

あの夏のまま・・・

 

長野に『無言館』という戦没画学生の遺作を集めた美術館がある。CDのジャケットにもなっている若き裸婦像画のモデルの女性が、おばあちゃんになって美術館を訪れ、残した画家への思い。恋人だった。「生きて帰ってまた君を描きたい」という彼の願いは叶わなかった。

 

彼女はその後結婚もせず故郷へ戻ったそうだ。このCDを聞いて思い出したのは、夫の大叔母のこと。夫家族には「畑のおばあちゃん(祖母)」と「台所のおばあちゃん(大叔母)」の二人のおばあちゃんがおり、大叔母は生涯独身だったそうだ。私がこの家に来る前に亡くなっているので会ったことはないが、なんとなく、これは彼女の世界かもしれないと想像した。真実は本人以外知るよしもない。

 

そして先週末の田原市男女共同参画フェスティバル&しみんのひろば』にて、やっと見た『この世界の片隅に』。(以下ネタバレ含みます)

この世界の片隅に
 

戦下、この広い世界の片隅に生きる一人のおっとり娘は、水兵になった幼馴染みから「おまえはほんと普通なことしかしない」と笑われる。たしかに彼女は家族を食べさせたり、繕い物をしたり、畑の番をする生活者としての毎日を主に生きている。でも空からの爆弾に襲われる、出戻りの気の強い小姑にイビられる、義父が怪我で入院する、姪っ子を繋いでいた自分の右手と同時に爆弾で奪われる。大好きだった絵ももう描けない。兄は戦死、父は病死、原爆で母の行方もわからず、妹は変なアザができて弱っていく。(1回しか見ていないので記憶違いだったら教えてください)

 

それが当時の世界のほんの片隅に生きている一人の娘に起きているのだ。それは普通であるはずのことを普通でなくする暴力に支配された世界。まさに異常、彼女の日常はひとつまたひとつと奪われ、それを日常に変えていくしかない。とてつもなく怖くて悲しいことが数年のうちに次々に起こる。戦争だからしょうがない、、んなわけねえ!!!と空襲を受けながら、さすがのおっとり娘も怒り叫ぶ。

 

そしてそこからまた生きていく。日常ができる。

いのちの危険に怯えなくてよい日常はなんと有難いことなのだろう。

 

映画会場を出て、チャリティTシャツを売っている宮城県女川で被災されたという女性と話す。職場で被災し、子どもと生きて会えたのは震災発生時から3日後だったという。住んでいたアパートは津波に飲まれたとのこと。

 

そして同じ日に見た画家の小林憲明さんが震災後の親子を描く『ダキシメルオモイ』。一番辛かったのが津波で亡くなったお子さんと、生き残ったお母さんの絵だった。

私の311以外の、あの時の三日間の世界の片隅の断片をまたひとつ増やす。

 

先程、寝付きの悪い我が子を抱きながら、この静かな時が、我が子が生きていることが、どれだけ幸せなことかと味わう。子だけは絶対に奪われたくないと強く思う。

 

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