nature and tech.

地球平和の前に家庭平和の前に自分平和

SHIZUNO NASU DANCE COMPANY『美しき地球 ONENESS』

SHIZUNO NASU DANCE COMPANY『美しき地球 ONENESS』夜の公演から一夜明け、新しい朝。昨日は昼間山歩きをしたこともあり、とにかくよく眠れた。新設した畳の間で、気持ちいい東の陽を浴びて、これを書いています。

 

ダンサーたちのエネルギー、集中力がすごかった‥!

普段一緒に活動しているメンバーが、この公演に向け尋常じゃないエネルギーを注いできたこと、普段のやり取りからも知っていたけれど、舞台を見ればそれがわかった。進化!

 

ひたすら時計回りに旋回するシズノ先生には生命の誕生の神秘を感じた。背景の絵は皆既日食の瞬間にしか見えなくて、2023/4/22はアースデイである上に、とんでもない生まれ変わりの日だという人もいることにも重なった。

最近自分の周りでも変化のスピードが加速しているし、私自身がその変化を起こしている一因であることも自覚しているけれど、美しい世界を描きながら、今日も生きる。

 

こんな力強く、美しく、繊細な表現者たちと一緒に舞台を作れることが本当に誇らしい!出逢ってくれて、才能を面白がる友人でいてくれて、感謝です。ますますのやる気とインスピレーションをいただきました。

エネルギーの行く末、浄化、儀礼、祈り。『すずめの戸締まり』感想

『すずめの戸締まり』を見た。

私は東日本大震災を東京で被災し、地震のアラートに怯えていた時期もあったが、11年がたち、日常はいまここ、恐れから解放されている。

当時4歳だった子が16歳になっている、というように、景色の描き方も含めあまりにリアルな設定は見るのが苦しい人もいるだろうが、この映画によって癒される人もまたいるだろうと想像した。

suzume-tojimari-movie.jp

 

劇中では人が放置したような廃墟から”みみず”と呼ばれる龍のような巨大なエネルギーが湧き上がり、地震が起きる。

地震は「溜め込まれたエネルギーの解放という現象のひとつ」でしかないのだろう。

 

「日本列島は青年期を終え、老年期に入っているように感じる」「何かを始める時は地鎮祭などやるのに、終わる時はなにもしないのが不思議に思う」といった新海誠監督のインタビューを読んで、今だからこその「儀礼」の必要性と意味を改めて考えさせられた。

 

大地に、いのちに、感謝し、祈る。

祈りの場をつくる際には、まず清める。掃除する。

人間は好奇心が強すぎるから、やりすぎる。

人為というエネルギー。人為に人為を重ねるサガ。

そして、後始末という人為は一番最後に必要なんだ。責任をとるということ。

 

我が家には夫のおじいさんの代で、まだゴミ処理システムが確立されていなかったころの農業ごみが、捨てられている場所がある。

我が家だけでなく、この村中にそのような場所があるし、現在進行形でもその頃と同じように野に農業ごみを捨てる習慣も、見る限り残っていそうだ。

それらに気づくたびに胸が痛む、なんとかしなければ、という気持ちにさせられる。

 

また、数年前に我が家の竹林の隣地との境界が重機でズタボロにされたのだが、そこもそのまま。後始末はどうしたものか頭を抱える。

 

過去にダムのことを書いたが、作り過ぎたダムを壊すこともその一つ。

mindlogchihiro.hatenablog.com

 

先日静岡で「大地の再生」の実践者の方と竹林で話す機会があり、水の滞りをなくすことがいかに多様ないのちにとって大事か、改めて知らされた。

daichisaisei.net

 

今、資本主義社会は限界にきている。

後始末をどうしていくのか。この営みには、心を込めた、感謝と祈りが、在るのか。

 

コロの死

www.uecology-life.com

4月30日新月、8年一緒に暮らした柴犬のコロが突然死んでしまった。

私は文字通り、全身が打ちひしがれて、後頭部が痛くて、重くて、動けなくなってた。

 

いつもの海散歩もコロがいないのが悲しくて、行けなくなっていた。

いつもの隣の浜へ家族と残されたシロと目指すも涙が出てくる。

 

ふわふわのコロが可愛くて大好きだった。コロはツンデレだったけど、私に一番なついて甘えた。

興奮して背中を丸めて走るコロ。脱走癖があり、海まで疾風のごとく駆け抜け、すごいバネで跳ねた。

 

コロを自分の一部にして生きる。その野生を引き継ぎ、私は躍動する。

 

ちょうど同じ頃子宮摘出の手術をしたKOKOさんのBlogにこうあった。

 

“Bittersweet : how sorrow and longing make us whole” の著書や「内向的な人が秘めている力」のTEDトークで有名なスーザン・ケインのインタビュー記事をたまたま読んだ。

楽観的で力強く前向きなものが重宝される時代において
悲しみや憂鬱、苦痛は良くないものと見なされがちだけれど
実はそれこそが大事なものに気づかせてくれる原動力であり
つながりや愛や慈しみの源泉であり
不完全で完全な魂へと成熟させてくれるものだ
と歴史は物語っている、とケイン氏は述べている

 

現に迷走神経(脳幹を喉と腹部に接続し、消化、呼吸、心拍数の原因となる神経の集合体)は
悲しみに直面したときに発揮される思いやりの感情
子どもを守りたいという母性や生き延びようとする直感
心地よいものを求める欲求とも深く連動している、とも。

だから悲しみ、喜び、生き生きさ
これらは全て一つの壮大な命の経験のタペストリーの断片であって、どれが欠けていても、命という作品にはならない

悲しみを優しい眼差しで味わった時にこそ
心を揺さぶる普遍的なクリエイションが生まれ
それこそが神聖であり、崇高なものとなる

ヘブライ語でコンパッションの語源は、
「ともに苦悩すること」suffer together だそう
私たちは人類特有の悲しみの感情をもっと共振させることで
つながり合い、愛と慈しみと豊かさを手にすることができる”

 

 

 

悲しみは腹と喉の奥をつまらせる。涙でそれを搾り出すたびに、頭の後頭部の下のほうが刺激を受ける。脳幹って、たぶんあの辺なんだろう、と思った。

 

まだ8歳だったコロ。身体のコントロールが効かなくなり、脳の障害ではないかと診断された。

 

どんないのちも死に向かっているが、急にその時が来ることもある。

 

Dance Contains "Good bye, Good Day."

歌って踊って生きると言うと陽気で明るいイメージがあるが、悲しみや苦しみともダンスをする。楽しく美しいだけではない、生きるということを歌って踊ることで深く味わい、自分を励まし、癒している。

 

私は今日の最善を、愛を持って生きる。

 

mindlogchihiro.hatenablog.com