nature and tech.

地球平和の前に家庭平和の前に自分平和

エッセイ20180213

エッセイ20180213

今朝受診したところ、インフルエンザA型だった。私自身2週間前にインフルエンザになって治るのに6日はかかった。風邪と同じで休んで熱でウィルスをやっつけるのが基本と知り、私や夫は受診もせずそうした。自分の身体のことならなんとなく自信も持てるが、子どもの身体となると彼女の生命力への信頼感もあるが、圧倒的に不安の方が勝つ。半日程度しか回復は早まらないと言われている抗ウィルス剤を飲ませる。私自身5日熱が続いたので、少しでも楽な方がいいかと。また診察や投薬の意味は、本人や家族が少しでも心を落ち着かせて過ごせるかどうか。改めて、自然療法のみで経過を観察し続ける親はとんでもなく肝が座ってると尊敬する。ワクチンすべきか否かの議論もここに尽きる気がしている。

 

しかしながら子ども医療は無料だからと、解熱剤兼鎮痛剤、鼻水と痰切りの薬、下痢してるので整腸剤と、たっぶりのケミカル処方にはやはり心地の悪さを感じる。現代医療を信頼していないわけではない。ただ、何事もやりすぎはいけない。薬いつも残って捨てるし。それは税金の使い方の問題でもあり、解決法=薬多めに出しとくという常識への懸念でもある。そしてお医者さんに薬少なめでいいです、とコミュニケーションできない自分がいるのも確か。

 

自分のことなら自分で決めればいいが、子どものことは親という立場だから私が決めなくてはならない。ムスメさんや坊やが暑いかな、とか私の身体にリンクして感じられることもあるけれど、言うても別の人間だ。子が小さいと、医療の必要性など、あらゆる場面で選択権が委任される。私は親5年でこれに未だに慣れない。子の代わりに決めることが負担に感じる。子にとって間違った選択をしたくない、という恐れ。ベストな選択をしたいという願い。自分のことなら自分のせいで納得できるけど、親が決めたってことで嫌な思いはさせたくない。裏を返せば、私は自分のことは自分で決めたいという強いニーズを持っている。(自分のことを人に決められたくない)だから子どもにも同じようにある程度の判断力がついたら、自分のことは自分で決めて欲しいと願っている。

 

なんとか11時までに家に戻り、ムスメさんを寝かせて、待ちに待ったNVCの講座。途中なんどか子どもたちが私を必要とするので抜けたが、気になっていた「リクエスト」について話をすることができた。

 

NVCには大きく4つのステップがある。

(1)観察

(2)感情

(3)ニーズ

(4)リクエス

 

感情とニーズについてはここ3週間の日記でも意識して書いてきたので興味ある方はあれば読んでほしい。

 

観察について。NVCでは散らかっている部屋について、「また汚い、いつも言ってるでしょ、片付けなさい!」とは言わず、「靴下が三足、漫画が二冊、おもちゃが五つ落ちているね」と事実を観察して伝える。「また」「いつも」「汚い」などは評価であり、観察ではない。ポイントは観察がイヤミにならないこと、つまり、言い負かしてやろうとか罰を与えてやろうとか打算しないマインドセット。あくまで、ニュートラルに、これこそが一番難しいような気もしているが、NVCという言語で世界を捉え始めてからのこの3週間くらいは割と心が落ちてついているからできそうな気もする。NVCを学び始めてから、例えばおとといのムスメさんの「行かないで」にも、冷静に対応できたし、何よりNVCを試すときがキターー!と思うとピンチはチャンスになる。自分がNVCを取り入れるだけで、人との接し方が変わり、関係が変わり、世界が変わって見える。自分が世界を変えられることがあるとするとこういうことだと思う。まさに地球平和の前に家庭平和、その前に自分平和。

 

そしてリクエストは関わる全ての人の人生が良くなるような選択肢を一案として提案することだ。あくまで疑問形で相手にどうしたいかを聞く。またプラクティスができていないので、なんだかよくわからない。

 

午後はムスメさんとくっついて過ごすが、四時過ぎてになって、ここ2日ほとんど関わっていない坊やと過ごす時間にする。久々に見ると益々かわいい。

 

夜ご飯は義親と母屋で食べているので、夕飯は私が作って、食べて早々に夫と交代。お義父さんが取ってきた牡蠣の冷凍、お義父さん作の白菜、人参、生姜、ネギ、買ってきた豆腐、糸こん。味付けは昆布、魚醤、お義母さん作白菜漬けが浸かりすぎたやつ。つまみにフキノトウの天ぷら少々。

ウルスコパレスへ戻りムスメさん看病。熱は37度台に。気分は最悪からは抜け出した感じのムスメさんと抱き合って眠る。