「踊ってる」とはどういう状態か
先週土曜は岡崎籠田公園にてスコズツマーケットにuecologyとして出店し、MovementMedicineで知り合った友人のMarh-yaが歌って、今年から一緒に踊るようになった仲間たちと思いっきり踊った!
最初はちょっと恥ずかしさもあったが、最近よく一緒に踊っているRumiちゃんがいたから、そのうちにただ踊ることに没頭した。見られることにいまだに恥ずかしさがゼロではなくても、最終的には踊っちゃう。
MovementMedicineのメサプラクティスについて、このブログでも過去に書いているが、まずは目を瞑って自分の中で踊っていい。そのうちに、周囲の人にチューニングして踊りたくなったら、そうすればいい。その繰り返しで、自分だけになったり、人と踊ったりを行ったり来たり。
そして、踊る人が増えていくと、なんとも言えない喜びを感じる!
もっと多くの人を踊りたい気にさせたい、という気持ちがまた自分の中で成長する。
Free Dance Floorは、そこにいる人は「みなが踊る」という場にしている。
「まずは見学してもいいですか」とたまに聞かれるのだが、「見られることによる緊張」を避けたいから、見学はなしにしている。みなが踊りに没頭する、というのが理想の場だから。そういう意味で撮影もNG。(見られても大丈夫なメンツならいいけど)
全ての動きがダンスである、と私も信じているが、それは概念や哲学なんだと思わされる。
感覚としてはやはり「踊りになる瞬間」がある。
普段の生活で人間が「しない動き」をダンスと呼ぶのだろうか?いや、動き、という目に見えるものに限らず、たとえば「歩く」だけでも、”気の発し方”みたいなものが、ダンス的かどうか、たぶん”周波数”が違う。
それは本人がチューニングしてやっている場合もあるし、無意識に入っちゃうこともある。
ダンスの周波数は、人間の言語的な世界と違う。もっと野生的で、自然の一部になるような感覚。
それを私は一番に大事にしているんだと思う。
ダンスとの再会は2019年に行ったバリ島なのだが、最近その記事を読み返して、まさに、「祈りの周波数」について感じていた。当時自分にはそれができない、と思っていたが、今は少し変わったと感じる。そして当時よりもっと日々歌ってもいる。
今日は今日とて、スーパーATSUMIの駐車場で買い物バッグ片手に歩いていたら、夫に「踊っとったね」と言われた。たしかに、空いた方の手を動かしていた。単に手首が気持ち良かったから‥