nature and tech.

地球平和の前に家庭平和の前に自分平和

ひとりでいる時の寂しさより、ふたりでいる時の孤独の方が哀しい

と言ったのはZARDだった

youtu.be

このごろ、子どもが動画やゲームばかりに時間を使っていると、焦りや怒りを覚える。やっかい。海への散歩は100%断られる。こんなに気持ちいい天気なんだから外で遊びたいのに!8歳のムスメさんは鬼滅に、4歳の坊やはHIMAWARIチャンネルとスマホゲームに夢中になっており、はっきりと家にいたいと意思表示してくる。そして私はちょっとだけプリッとして、犬と海へゆく。

 

やだ!と言える関係のほうがいいとは思う。親になり、子どもの代わりに意思決定する機会は実際にある。しかし、本人にその意志がないのに、どうしてそうさせることができようか?子どもは自分とは違う人間であり、自分の思い通りにはならないという前提で関わる。

 

砂糖もゲームも一度覚えたら最後、また欲しくなる。

「日常生活に支障がでるのは依存症」は最低ライン。

 

子どもの健康を願っている。幸せに生きてほしいと願う。

この世界を身体で感じてほしいと思う。

 

 

それぞれの興味関心をとことん突き詰めてほしいとも思う。

時間を忘れるほどの没頭と集中は気持ちがいい。というか、私自身小学生の時はゲームは結構やり込んだし(マリオ上手くて子どもたちから尊敬の目)、今だってyoutubeで気づいたら明け方という日は時々あるw スマホ貸してくれと言われた時にわりとすんなりのは、自分もこうやってスクリーンタイムを楽しんでいるからに他ならない。

 

親ならこうすべきだ、というレッテル張りは以前よりはないが、ある。学校からも言われる。自分の親もそう言ったし、のび太のママもいつも金切り声で叫んでいる。

 

結局は全てを得ようとする欲張りな私が、様々な可能性を検討し、感情に向き合い、もがいている。いつものパターン!

 

そして、子どもたちが親の思い通りにならない個として成長してきていること、一緒に過ごす「同じ時間と空間」はどんどん少なくなっていくことを日々のやり取りの中で感じているということでもある。不可避だと頭ではわかっていることを、実際に体験し、「これが”今しかない”ってやつか」と少し寂しくなりながら、「距離感」について親も学んでいく。

 

週末、友人の中尾 佳貴くんが旅のはじめに我が家に寄ってくれて、元屋敷で一緒に野良作業後、よしきくんファシリテートで共感サークルを持った。

 

この件について共感サークルで確認したのは、「よろこび」「つながり」「受け入れられること」のニーズ。同じ時間と空間で、頭だけどっかいっちゃうことへの不信感はある。TVも、スマホも、ゲームも、同じ時間と空間にいる時の寂しさは、つながりと喜びが大事だからこそ。

 

子に過干渉な親にはなりたくない。それぞれの時間と空間をenjoyするのは必要。その時間は成長と共に減ってゆく貴重な時間。かっこいいと思う世界観もそれぞれ。結局は今ここにあるのみ。その時々のダンス。離れていても、家族が安心できるベイスであることだけはブレないよう在ればいいようにも思う。