nature and tech.

地球平和の前に家庭平和の前に自分平和

年少児の観察記~快と不快、個と集団~

以下は百姓やりながら勤務するこども園宛に書いたレポートの一部です。

さっき夫と話していて「今後はまあ行けそうなときに保育園や学校に行く」でいいんじじゃないかな、と。(2020/5/17)

 こども園の仕事をお休みさせてもらっても、
5月いっぱいは夫の営む美容室も休業にさせてもらっても、梅の季節でもあり(無農薬で梅を栽培・販売しています)、草の勢いも増すこの時季、家には山ほど野良仕事があります。小二と年少の2人の子どもと毎日何ににも縛られずに過ごすこの1ヶ月半は、それ以前に社会のしくみの中でいかに忙しく暮らしていたかを思い知らせてくれました。「今やりたいことを、満足するまでやることもできる」そんな余裕が子どもにとっても大人にとっても素晴らしい体験になってもいます。また、昔から憧れはあるが自分にはその器がない「ホームスクーリング」を半ば強制的に実験できるタイミングが訪れたのです。

 休み始めの4月頭はとにかく甘えん坊になりました。私にくっついて、ちょっと移動するのにも「だっこ~」、「トイレひとりじゃいけない」などと赤ちゃん返りのようになりましたが、それも今は無くなりました。

https://www.instagram.com/p/B-hbNklj75-/

 顕著なのは「ハダカの割合」が増したことです。気候がよくなってきたこともあり、家の中にいる時は上下どちらかの半裸か、全裸でいることが多く、気持ちが良さそうです。これこそ家だからできる在り方だと感じます。ハダカで脚立に登り足にミミズ腫れのすり傷をしたり、半裸で森に入って虫に刺されたりなどの体験をしているので、「なぜ服が必要か」について学んではいると思います。ただ、家の前が国道なので、表に出るときに性器が見えている状態は不特定多数に見られることなので、やめた方がいいいかな、とも話しています。

https://www.instagram.com/p/B8iFz82DRuY/

 kinoは高いところに登るのが大好きですが、我が家の竹林に作った竹の資材置き場にいつも登っています。一度、目を離した隙に落ちてお腹を打ったこともありました。大事に至らず済みましたが、なんでも経験といって挑戦させるかどうかの葛藤は常にあります。毎日家の屋根にも登っており、我が家からじじばばの住む母屋まで屋根を伝っていくのですが、途中モクレンの枝が低くのしかかっている部分があり、その下をスパイダーマンのように這って向こう側に行く姿(しかも全裸)を見て、「これは集団保育ではできない体験だ」と自分で納得してしまいました。

https://www.instagram.com/p/CAHW82MD4TH/

 このように私は親でありながら、日中の彼の保育者でもある。とことん彼の好奇心に付き合うことは集団保育ではなかなか実現できない。この視点はこども園のスタッフを経験しなければ持てなかったと感じます。自然とともにある恵まれた環境と思いつつ、やはり子どもにとっての社会勉強、子ども同士の刺激という点ではもの足りなさを感じています。

 kinoは1歳児クラスから地元の保育園に通っており、4月生まれなこともあり、学年8人の中でも中心的な存在で、ハキハキと園での活動に励んでいる様子をいつも聞いています。kinoにとっての、貢献、達成感、つながり。そして、ときに葛藤、悔しさや自制。それはまるで、私自身もこども園のスタッフとしての活動を通じて、新しい人や考えとの出会いの連続にワクワクし、家では得られない刺激をもらっているように!

 以上のように、この状況を楽しむ私もいながら、「もうこれにも飽きてきた、毎日とは言わずとも少し離れる時間が必要、仕事ももっとしたい」、「最近動画の時間が増えてきたりして、保育園に参加すれば子ども同士の刺激があり、("週の大半を私が保育する前提で"私がご機嫌になるという意味でも)保育の質は上がるのでは?」「社会的な存在として家族以外とつながることは子どもにとっても必要」とも思うようになりました。

 以前は本人も嫌がらず楽しそうに通園していたのですが、今は相当家が楽チンな場所だからでしょう、激しく登園を拒否します。この状況下では無理もないでしょう。思い出してみれば、ムスメも年少の時相当行きたがらなかったので、まあ、そんなもんかと思ってもいます。

 自分が心地よくそのままで居られることは素晴らしく、同時に家族以外とのつながりによる刺激も必要と感じ、改めて勤務を通じて子どもの集団と関わる経験が我が子への関わりにもポジティブな影響を持っていると感じました。6月の勤務についてはまだ考え中です。