この時代に、深呼吸し、ダンスする
久々に好きな文章書きがしたくなり、つれづれなるままにキーボード打ち。なんせ今日は私の誕生日♪
オンぎゃあと生を受けて、この気持ちの良い季節も36回目とな。
4月にムスメさんは小学生になり、ママと一緒にいたい「行きたくない」園児だった頃からは想像もつかぬほどに、やる気をみなぎらせてランドセルを担いで歩いていく。坊やも2年目の保育園では彼らしく振舞っており、楽しい模様。安定して大人の時間を満喫できることも至福。喜びでいっぱい。
うららかな春、野花が可愛くてそれだけで幸せな気持ちになる。鳥の声にも毎度感動させられる。
それらの命にフォーカスする時、それらになる。透明な気持ち。
輪廻転生信仰者なので生まれ変わったら、オスの鳥になって、美しい声で鳴きながら空を飛ぶんだ!と願っている。
最近は以前ほどいろんなことに欲が無くなってきて(相変わらずの好奇心ではあるが)、今がとても幸せなので目の前のことをやり続け、変化し続けるだけで、特に成果は設定せずとも、勝手についてくる、という感じに。自然物とのお仕事も多く、失敗してもまた来年、どうせ季節は1年待つしかないのだし、命はこちらにコントロールできるものでもないし。自分が生きてさえいれば、なんだってできるんだから、という感じ。
人生のほとんどの時間、私は「成果」を求めてきた。成果があれば満足できたし、それに伴い評価もされた。人の目を気にするから、さらなる成果を求める。それを活力にして生きてきた。親の役にたちたい、アダルトチルドレンだったかもしれない。社会人になったら会社での立ち位置はもちろん、「社会貢献」を最も大事なバリューとして追い求めていた。親になったら目に見える成果のない育児業に戸惑い、子に求められるがままに応えようと頑張りっては苛立ち、産後うつになり、腰も何度か壊した。子どもを負担に思うほど、夫に対し不公平感を募らせた。SNSをひらけば友人や同業者の輝かしい活躍を妬ましく思うこともあった。
この場所で生きるには、今までの生き方では、苦しくなったのである。超成果至上主義な義父から学ばされたことも大きい。成果至上主義な自分ではしっくりこなくなった。時代的にもきっとそうなんじゃないかと思う。世界平和の前に家庭平和、その前に自分平和の道を一歩づつ進んできたのだと振り返る。
今のこの世界、この身体にフォーカスすることは、雑念を減らす。今ここにあることを受け入れている。明日死ぬかもしれないのだから、これ以上なにが必要だろうか。家族とともにある自分の成長と自然世界の体感がベースにある。そして、以前書いたマインドフルネスとコンパッションの講座以降、感情が高ぶる時には身体の感覚に意識を向けるようにしてきたこと、また個人としてはダンスとの再会が大きな変化ではないかと思う。”困難をアートに、アートを気づきに、気づきを行動に” ガブリエルロスの言葉もこの生き方をサポートしてくれている。
ここにきてムスメさんの通う小学校が今年の保健テーマとして「子どもと家族のメディアとの付き合い方」を掲げてきて、大学時代~社会人以来のテーマと、この7年での私の心身の変化がリンクしてきて大変興味深い。「身体性」というキーワードを残して、デジタルネイティブ世代のメディアとの付き合い方についての仕事を離れたが、やはりそうか、という感じ。Netflixの『ディスカバリー』『ブラックミラー』やクリストファー・ノーラン監督『インセプション』もやっと見たが、「今自分がいるこの世界以外の”世界”を疑似体験させる」のがメディアであり、「身体そのものを”別の世界”にする」未来を私たち現代人は案じているのである。
人間は好奇心の塊でテクノロジーの流れは止められないだろうが、身体で感じた気持ちよさを覚えていればSFのようなトラジディに支配されることはないとも思う。そこでも結局多様性としてリア充かネト充かという強弱はつくのだろうが。少なくとも私はいろんな人に「踊りましょう」と呼びかけ、実際に踊ることでこの時代を生きたい。
まずはやってみなければわからないと来週21日にこの東三河エリアでのエクスタティックダンス「FreeDanceFloor」を開催しています。ご興味ある方は是非踊りましょう。