nature and tech.

地球平和の前に家庭平和の前に自分平和

労働はエラい、休息は申し訳ないという価値観

週末のイベントに向け、倉庫から使っていない畳を6畳半分出すことになっていた。

畳の上にも、手前にも、横にも‥何やら色々なものが「秩序なく」置かれているのが、目的の倉庫である。私の一番嫌いな状態。取り出したいけど、そこまでの道のりが遠い。なお、目的の畳の上に味噌作りの機械や、潰さずとっておいた段ボールの山を積んだのは他でもない私である。

 

ある程度の無秩序を問題にするのはヒトのサガだが、私はカオスな環境でミッションを得るとパニックを起こしてしまうことがある。最近道具部屋の整理もできて、作業に取り掛かろうという時に目的のものがない!という状況が減ったので、このパニックは久々だった。(その瞬間はそのことにも気づいていない。)

 

畳を取り出すなら、ついでに、倉庫の奥の棚の中身を断捨離して、梅干しや味噌の樽を棚に入れたい。でも時間の関係で、畳を出すだけで、その他は現状に戻すだけ、と夫と話がまとまる。わかるけど、やるならトコトンやりたい性分なので、納得度55%

 

「さあやろう」と言うものの、身体がどーんと重たくて、眉毛が八の字になっちゃう。しかも、朝から左肩の調子が変。

夫にその身体の感じをそのまま伝えた。すると、「ポジティブな気持ちで取りかかれないなら、無理にやらんでいいよ。各自好きなことをしよう」との提案を受け、ほっと一安心する。

ウッドデッキにヨガマットを敷いて寝転ぶ。湿った風、鳥の声、蝶の舞のゆらめき。自然ってなんて癒しの力があるのだろう。

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私は休みたかったのだ。休みたいときにそう言える人であってほしいと子どもに願う親でありながら、また自分でそれができていなかった。左肩の痛みは偶然か、去年の夏と同じだった。(身体に詳しい方、左肩の解釈の諸説、教えてください)

 

そして、私は休むことにある程度の罪悪感を持っていることに気がついた。

ミッションを目の前にすると、スイッチが入って、それをこなさずにはいられない。身体は重くて肩も痛いけど、成果を出したい。さらには”ついで人間”の癖が出て、ついでに付随する他のミッションを見つけては、全てをこなそうとしてしまう。

「さすがミッションスクール出身」という夫のギャグにウケつつ、信心深くない私は今になってミッションスクールの”ミッション”の意味を理解した気がする。

 

育児と自由業を始めて6年、「仕事と休みの時間を自分で決めることが幸せに生きるミソ」だと気づいてはいた。お金についての考え方が変わったことは以前にも書いたが、週4~5日、5時間労働を基本としている。(上の子迎えが14:30)

なにより育児はハードな肉体労働で、私は精神面がかなりヤられる。休みたいときに休めるようになろう、という趣旨でこれを書いているが、子どもがちょろちょろしているとマジで休めない。このブログで何度も書いているけれど、子どものいのちに責任を強く感じる人ほど、子どもが物理的に一緒にいると心身が休まらないと思う。土日に仕事をすることもあり、保育園のおかげで月曜はやっと休息というペースになりつつあったが、先週はタスクが多く、それさえもできていなかった。(と、ついついリーズナブルな理由を提示して休む正当性を示そうとする癖もある。)

 

休みたいときに休まないと身体と心は乱れる。「自分は(休みたいのに我慢して)がんばっているのに、あなたは楽していいわね、、、」と。家族間や会社内での元凶だ。

(我慢して)の部分に自分自身で気がつかないほどに、「労働はエラい」と思い込んでいる人は多いのではないだろうか。誰がみても”労働”とされる行動をしていれば、エラい。認められる。

しかし、なんのための労働か。それは幸せに生きるためである。

幸せであるためには好きなことをする。そのうちのひとつに休むことを、選択肢として持っていたい。働くこと、遊ぶことも同様に。

 

さらに、休むペースはひとそれぞれであることも理解したい。2時間働いて4時間休む必要がある人もいれば、休みも遊びも仕事もボーダレスなエネルギー体もいる。

様々な局面で「寛容な社会」について議論がなされるが、まずは自分自身の心身を感じて休みたいときに休むことを選択できること、そして各々の休みのペースが違うことへの理解は重要なファクターだと思った。

 

なお、畳は無事に取り出され、イベントも成功。倉庫は片付かないまま。私の体調はとても良い。

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