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地球平和の前に家庭平和の前に自分平和

なぜゴミ問題に興味を持ったか。田原市廃棄物処理対策推進協議会委員になった訳

(1)産廃施設を身近に感じて

うちの店は国道沿いにあるのですが、店の前で作業していると1日に何台も産廃(産業廃棄物、事業者が出すゴミのこと)を積んだトラックが通ります。それが臭くて辛い。

ムスメさんのこども園に行く途中に中間処分場、最終処分場が合計4つはあります。悪臭を放っているので、まさか窓を開けたままでは通れません。私の住む村にも中間処分場があります。

こんなにも多くの産廃を身近に感じるのは、東京出身の私にはショックでした。事故が起きて東京の電気が福島原発から供給されていることを初めて知った時と重なります。自分たちの生活に必要な施設が街からは遠く田舎にしわ寄せされている現実が。

私はなにも産廃施設が要らないと言っているのではないのです。私たちが消費するものの生産の過程で、必ず産廃は出るから、産廃施設は要る。だからこそ、悩ましい問題なのです。

 

(2)あるもので暮らす

夫の生まれた土地に嫁いで来て、ありがたいことにお義父さんは野菜をたくさん作るし、魚介類は海辺で豊富だし、敷地内に果樹はたくさん。なるべく「あるもので」食べて行くようになりました。広い田舎の家にいくつもある倉庫を片付けては、ご先祖が遺した道具や義親が使わないでそのままになった生活用品を発掘して、「あるもので」暮らそうと工夫をして来ました。それでも現実には私も大量にものを捨て、ものを新しく買っています。

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昨今「古民家カフェ」とか「古い街並み」「昭和レトロ」などと言われもてはやされるものたちも、「あるもの」を活かす発想で私は好きです。どこの街に行っても代わり映えのしないショッピングモールを作っては壊すのではなく、「あるもの」を活かすことは、無駄なエネルギーをかけずに、「すでにある」魅力を再確認することだと思います。そして何よりも元々「あるもの」で美しいのは自然です。

 

 

(3)美しい景色の中の異質性

田原の美しい海辺を歩いていて、明らかにプラスティックの漂流物は美しくない。森を歩いていて、不法投棄の洗濯機は明らかに異質です。海には目には見えないマイクロプラスティック(スクラブ洗顔や歯磨き粉にも入っている)も大量にある。

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#環境にやさしい #ゴミ #たはら暮らし

結婚を機に夫の故郷である田原の市民となりましたが、人間以外の“いのち”を日々感じるようになったのはこちらに住んでから。人間のうんこは土に還っても、ゴミは違うのです。循環からははみ出している。少なくとも、然るべき処分をするというのは、生産し消費する人間の責任でしょう。

 

(4)分別難しすぎ!

田原市の分別の区部は相当難しく、委員をやるような私、“インデックスのおみさ”とはアタイのことだよ!と言い放つくらいの私でも、わからなくなることが毎日ある。メンドくさって気分になることもある。でも市民代表として会議に参加する意義はそこにあるとも思っている。めんどくさいし、わかんないから、ゴミの分別がテキトーになる。お母さんしかゴミの分別に詳しい人がいないとか、分別多すぎてゴミ箱そんなたくさん置くスペースないなど、家族運営の問題でもある。結果、分別間違いや資源を資源としなくなり、再分別の人的コストや、焼却コストが最適化されない要因になり、最悪のケースは不法投棄。そういう生活者の心理について、私は考えたい。