自分の外の世界に人生の時間を割くのが文明人だ
自分の人生しかひとは経験できないから
演劇や小説というのが存在してるんだろう
映画やドラマにハマるとは、まさにそれらを見ている間、自分以外の誰かの世界へ行っちゃてるということ
エッセイや、新聞や、論文だって、誰かの考えや体験を知るということ
アートや学問が興味深いのはきっとそういうこと
たとえばある片田舎の家族の日常生活についてなど
友達やご近所さんでなければ、知り得ることもなかった
インターネットがあることによって、ある片田舎の家族の三食の献立や
普段みている自然の景色や、子どもの産まれた瞬間の映像さえも、
ふつう、本人と家族しか知りえない世界であったものを
知ることができるようになった
フェイスブックなどはそういったあるひとの世界のかけらをよせ集めた巨大な外部記憶装置であり、映写機だ
そこに人生の時間を割くのが文明人だ
自分の生活に精一杯すぎてないんだとおもう
海外、言葉の通り海の向こう側へ、行けるのもそういう意味だ
文明人の世界は広いといえばそのとおり
”広く浅く”という生き方かもしれない
対照的なのは、『裸の島』とかもそうだけれど、
自分の世界がずっとずっと続く、暮らし。
自分の世界にいるか、その外にいるか、という点で
インターネットで書くことと、見ることは、けっこう違う