nature and tech.

地球平和の前に家庭平和の前に自分平和

コロナバケーションのつれづれ(2020.4.20)

前のブログを”前夜”とのタイトルでアップした通り、その翌々日の4/10から坊やも保育園に行くのをやめさせ、随分前からおうち時間をenjoyしているムスメさんとともに、家にこもる家族の時間に入った。理由は4/9に勤務先のこども園の理事長やスタッフと園の対応について話ができたこと、その晩に家族で海辺でピクニックディナーをしたこと。夫がカレーを用意してくれて、家族4人で好き好きに過ごしていただけだけど、今は他の家の子より自分の子に時間使おう、と思えたからである。

そして我が家はコロナバケーションに入った。自然とともにいれば気持ちよく、家でやることは山ほどある。時間気にせず今やりたいことやれるのが嬉しい。こどもたちの時間の使い方も既成概念を全て忘れてゼロベースの実験。タケノコほったり梅林の手入れしながら鳥と歌い、春の美しさにうっとり。ボサボサの頭も気になったらゆっくりヘナして、ワイルドに生きている!坊やは半裸で屋根を行ったり来たりしているので、屋根が痛みついに雨漏り発生で、セルフビルド10年目の我が家の屋根改修または二階の工事が必要になり、こんな時期にちょうどいいねと。我が家はこれを機に百姓生活の純度が増した。

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先のブログの通り、子どもと密着して大人の時間が減るなんて鬱発症を懸念しているが、最初の三日で爆発しそうになったもののなんとかやり過ごすことができた。坊やと対等に大きい声を出して怒りを露わにしたり、「もう限界」とだけ言い残して1人で海に出かけたり、踊ったり、などの対処法を身につけた‥!このブログの過去を見直せば私の精神面の成長もよくわかるものでw

坊やはまだ4歳である。大人からしたら何もかもが無茶苦茶に思える行動しかしないが、2人目&子ども園勤務の経験を経て、「まあこの年代だからね」という悟りまたは諦めが身についた。1日中一緒にいると「横暴なわりに、見た目や喋り方は悶絶レベルでカワイイ♡という激しいギャップ」に振り回されて、疲れる。じじばばっ子なのでものすごーーーく助かっている。核家族は保育園を利用してうまくガス抜きしてください。
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ムスメさんはもうすぐ8歳で、以前のように私を拘束して泣くようなこともなくなり、ひたすら自分のやりたいことを探求しているコロナバケーション。もともと家で手を動かすのが好きな人なので、創作できる時間と空間に満足そう。やたらコロナを恐れていて、大好きな100円ショップも自粛するほどの慎重さ。学校へいけば背筋を伸ばしてがんばるタイプなので、「不安に思ったら」学校に行かなくていい、という今この世界で、貴重な出校日も学校に行かない。私にとって憧れるけどその器がないと諦めていたホームスクーリングも案外できちゃうかもしれん。というか、彼女は教わるのが好きじゃないらしい。コロナのおかげで素のままで遊育中。彼女に知性と才能があるのはわかっていることだ。”コロナがおさまったら”はたして学校に行くのだろうか?そもそもコロナがおさまることがないのかもしれないが。

新型コロナウィルスの正体はよくわからないが、サイレントキャリアーになる恐怖もありつつ、徐々に病状についての情報も増えてきて、罹ったらいやだなあ、とも思う。でもなんというか、いつか遭遇するだろうと思うし、その存在を受け入れている。地球のバランスとして、人類の経済活動の度が過ぎていた、という風にずっと思っていたから、今回の世界中のStayHomeMovementで地球の負担は減っているようだし。なんという気づきを人類に与えてくれていると。だから常々コロナウィルスを「敵」と表現することには違和感を覚える。

 

世界的にはベーシックインカムも実施されつつあるし、当事者には心底申し訳ないが今回のコロナ禍で必要な仕事や企業についての大掃除が行われているように感じる。私が必要と感じていた変化が今まさに起きている。

我が家は5月いっぱいも同じような生活をすることになるだろう。今はそういう実験の最中。日々アップデートされていく世界の状況をみつつ、どう行動していくか決めようと思う。

最後に引用しておきます。

forbesjapan.com

「生とは両義的なものなのです。ラテン語hostisは、主人、客人、友人、敵を意味します。したがって『歓待(hospitality)』とは、あなたがドアを開く相手は殺人鬼かもしれないということを意味しています。私は死にたいとは思わないし、このウイルスによって誰にも死んでほしくないです。しかしここで私は『活発に生きる(alive)』ということが『生き延びる(survival)』ことと対照的に何を意味しているのかを理解したのです」