nature and tech.

地球平和の前に家庭平和

2018盆 他人由来の仕事をこなす脳、自由をする脳

今週は昨日まで保育園に通う坊やもお休みで、当然こども園1号(幼稚園)のムスメさんもお休みである。子どもとずっと一緒に過ごすことに負担を感じることは目に見えていたが、いざそうなるとやはり心身が重い。

2歳の坊やは口を開けば「やだ」「〇〇じゃない!」の剛腕。自分の願いが叶わないと夜の10時に外で走り出すような二歳児である。大人4人と6歳のムスメさんでめいいっぱいに付き合ってきているが、彼の大好きなおばあちゃんがヘルニアで動けないのだから、坊やのお相手というミッションが一番重く感じられる。そこにムスメさんの要求(ときどき不機嫌)が度重なる。私はここのとこ毎日ため息をついている。

 

子どもの健康を守る、彼らの願いを叶えるというのは、親にとってありふれた日々のミッションだ。お義母さんがヘルニアになって動けないので、さらに親の生活やお盆にてご先祖の霊まで加わり、嫁のミッションも多い2018夏。

f:id:mindlogchihiro:20180812170012j:plain

私は他人由来の仕事を私がやらねば!とミッション化して受け取るタチであり、それをモチベーションにするところがある。

結局は「他人に合わせる活動時間」のことである。誰かに合わせるのは、人の役に立ちたい、彼らを喜ばせてあげたい、楽にしてやりたい、そう私が願うからに他ならない。でも、自由度が低く、ストレスが多いのもまた事実。

 

そしてミッションを精一杯こなそうとする。そして疲れ果てる。疲れてくると、イラっとすることが多くなる。バイタリティがさがる。

活動を楽しめなくなる。「他人由来の仕事を”しょうがないから”やっている」という見方になってくる。もしくは単純に疲れている。

 

最近はそれに気づき、声をあげるようになった。ひとつの成長だと思う。家庭平和の前に自分平和。喜ばれたくて、人に合わせすぎる自分にアラートを出す。「子どもの相手に疲れた、一人の時間がほしい」

それを聞いた夫は最初は少しイラっとして自分が責められていると感じたようだ。夫婦によくある「自分だって精一杯やってるのに」という気持ち。でも責めていない、今の気持ちだと説明すると、夫はすぐに気持ちを切り替えて笑顔が戻った。夫は今年パーマカルチャーデザインコースに通い共感や平和のあり方についても改めて学んで来たのも大きいと私は感じている。坊やを連れて長仙寺へ村人が倒した桜の木を見に行くと出かけて行った。暑いのに感謝。ムスメさんはipadクレヨンしんちゃんの映画。

 

そして今これを書いている。書くのが好きだ。楽しいし、整理されて、すっきりする。気持ちが落ち着く。タイプしながら自分を取り戻す。呼吸ができる。

結局一人じゃないと深呼吸さえできないのが今の私なんだと気づく。自由をする時間が減っていくと息が詰まる。数日前、一人で店の前を思いつくがままに片付けたときも快感だった。

他人由来の仕事をこなす脳と、自由をする脳は働きが違う、たぶん。どちらも好きでやってるし、どちらも必要なのだが、自由をする快感を知ってしまったら、選択の余地が生まれる。それが現代の母、嫁の葛藤であり、生き方なのだと思う。

 

子育てこそ、他人由来の仕事がほとんどの世界である。

「アイス食べたい」など子ども由来のニーズ

「子どもの言いなりにならない」「冷たいものは控えて」など”先人の言う正しさ”

「今からご飯なのに」「下の子がジュースこぼす」などの条件

「料理に集中したい」「ちょっと休ませて」など自分の願い

私にとっては混乱に近い。

 

ここ最近、5時起きの坊やを義父さんが散歩に連れ出してくれたり、お義母さんが動けなかったり、夫がパーマカルチャーデザインコースの勉強で家を空けていた経験から、しみじみ自分一人では子育てはムリだと思う。孤育てしていたら、虐待してしまっているかも、とも。

 

”嫁の仕事”というのは、現代ではもはや死語かもしれない。昔の嫁たちが、いかに大家族の中で役割をこなしていたか、いつも感心している。この盆ではご先祖の霊にお霊具前と呼ばれるご飯に味噌汁、漬物にさらに煮物など二品の精進料理をお供えすることになっているのだが、まあまあの手間である。ここ最近午前中はお腹が空くまで食べなかったのに、母屋で朝から料理をしていると味見やなにゃらで結局色々食べているし、とにかく自分本位より他人由来の時間の過ごし方になってくる。何度も言うが、水汲み、手洗い洗濯、風呂沸かし、なのに自分が風呂に入るのは一番最後なんて、昔の嫁には頭がさがる。それを毎日楽しんでいた嫁もいただろうし、歯を食いしばっていた嫁もいただろう。信じられないのは男尊女卑の時代ということである。彼女たちは他人由来の仕事かどうかなんて考えることもなく、女は嫁はそうあるものとして、毎日働いたのかもしれない。

 

 

私はお盆に何を考えているのだろうか。『リメンバーミー』をタイミングよく観てしまったこともあって、ご先祖には申し訳ないが、などとの前置きがつくのだが、私は2018年を生きる嫁である。先代の嫁たちの気持ちは単なる想像に過ぎない。ただいつも思うのは今を生きているのは私とこの家族であり、ご先祖からの命のつながりであるが、ご先祖はもう今は生きていないということである。生きている者が優先。生きている者の中でも他人由来の仕事をしているのだから、生きていない人由来のことはさらに後回しである。つまり盆の行事や日々のお供えやお墓の掃除も、自分の中でそうしたいと思えるかどうか。代々の嫁がやってきた仕事について、学んで体験してみても、それをやめるのか、続けるならどのように続けるのか、それを今判断するのは私である。スピリチュアリティはある。でも数々の仕事の中でリアリティとプライオリティ次第で何をしてあげられるかは変わるのだ。

 
映画『リメンバー・ミー』日本版予告編

 

そういう考えの私が、このトラディッショナルなコミュニティに入った。嫁の仕事に限らず、他人由来の仕事であっても、新しいことに興味があるから、進んでやる。体感した結果、合理的な、より心地の良い選択を求める。

これにて2018年盆のタスクは終了。坊やも今日から保育園。急に涼しくなり、美しい秋の雰囲気に爽快な気持ち。