nature and tech.

地球平和の前に家庭平和の前に自分平和

エッセイ20180224

エッセイ20180224

 

土曜日。ここ数日坊やの夜泣きがなくなり、よく眠れる。今日はこども園のお友達親子を呼んで我が家の梅林でお花見の予定。ムスメさんも布団に私を呼び寄せてくっつきながら「早くよもぎ団子つくろ!」と起きる理由を自分で見つけたようだ。

 

いつものようにご飯を炊いて味噌汁を作り、ぬか床のたくあんで朝ごはん。片付け、おにぎりを握る。好奇心で買ったものの食べずに残っていた桜でんぶと、梅を漬けた時の梅酢に味醂ですし酢を作り、お寿司。花の形のクッキー型でムスメさんがピンクのご飯を型抜く。おにぎりには同じく梅漬けでできたゆかり。子どもたちに梅ジュース、番茶のお茶受けに小梅の梅干し。昨日つんでおいたヨモギの新芽でムスメさんと団子作り。

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ムスメさんと合作花より団子とてんとう虫でした#お花見 #梅

 

今日はお友達2家族がくるだけなので、そんなに綿密には計画を夫にシェアしていなかったけれど、夫は寒い時のために焚き火の準備や、火で何か一品つくろうといつものホスピタリティを発揮しだす。それはとてもありがたいことだけど、準備中ところどころに坊やが泣きついてくるので、最初からそれを見越して私はどれだけの準備をしたいからその間は夫が子守と事前に話し合っておけばよかったと反省した。手を動かしつつ聞いていたNVCに関するRadio Activeも坊やの泣き声で聞こえなくなったので、いつもの「子どもにやりたいことを中断される」ストレスで私は苛立ち、非暴力の平和のマインドからNVCを学ぼうとしているのに、本末転倒な自分が恨めしかった。いつだって再生しなおせるyoutubeと目の前のいのちではどちらが大事か、わかっているのに。このブログの初期から書いていることだが、命題「自分の時間か、子どもの時間か」に悩むのも、私の「自分が関心事に集中して取り組みたい」という強いニーズが正体だ。関心を持つというのは、私にとって自然な衝動だけど、子育てしていると時間の使い方におけるジレンマとなり私を苦しめる。なんせ相手は突然やってくるuncntrolableで爆発的ないのちのエネルギー。だからムスメさんが小さいときは意識的に「何かをやりたい!って思わないように」していた。私の場合、 #あたしおかあさんだから を経て #あたしおかあさんだけど に進化した。

 

坊やはいざ家を出ようと言う時に癇癪(かんしゃく)をおこして手がつけられなくなった。結局は眠かったようで、梅林に着くと眠ってしまい、ゴザの上でお昼寝させた。静寂。とても暖かな日で救われる。

 

友人家族がやって来て、子供達は早速遊び出す。SちゃんとNちゃんは今年一緒にこども園の役員をやっている人たちで私は親しみを感じているが、ムスメさんと子ども同士は普段園で遊ぶ仲ではない。こども園という場だと「〇〇ちゃんママ」として親同士が知り合うしかないと思いがちだが、役員をやってからは、母同士は友達だが、子ども同士は友達ではない(むしろお子さんを母の後で認識する)ということがよくある。私は「〇〇ちゃんママ」と呼ばれるが好きではないので、そういう関係性があって嬉しい。Nちゃんは私のブログを見てくれて、興味関心が近しいことがわかり、花見をしながらも「いじめをされた側には傷があるが、いじめをした側には何が残るのか」などを話す。子ども園のお母さん同士は、毎日会うけど、子どもの激しい動きに中断され、自分自身が何者かなんて話す暇があまりないし、そんな気もない人も多いかもしれない。でも私はそれはモッタイナイって感覚がある。せっかくこのおもしろ子ども園で知り合えたご縁、人として知り合いたいという気持ちがある。だからNちゃんがブログを読んでくれて、前置きなしに真面目な話ができるのは有意義に感じる。Sちゃんはおうちに薪ストーブがあり毎日自分で火をつけていたり、子どものころから自然を楽しんで生きているのが伝わって来て、共感する。純粋で澄んでいる印象。Sちゃんは3人の子の個性を受け止め、でもあまり深刻に悩まないゆるやかさが私には眩しい。私のように「私が!私が!」と鼻息を荒げている様子がない(苦笑)

 

本当に春らしい天気で、午前中には二分咲きだった梅も帰る頃には三分咲きくらいになっていた。春を感じて虫たちも活動的になり、子どもたちはてんとう虫を探すのに夢中になった。夫が風除けに張ってくれた布に穴が空いていたのだが、「何枚ですか?」とその穴からおやつのポテチが出てくるお店屋さんをやったり、落ちていた剪定枝でさえも遊びに変える子どもたちは見ていて微笑ましかった。