nature and tech.

地球平和の前に家庭平和

エッセイ20180215

エッセイ20180215

 

インフル発症から4日目。熱はもう昨日には下がっているが、まだ感染力があるとされている期間なので、こども園は休み。坊やとは別々に寝た(夫、私、姉とインフル発症時には母屋でじじばばと寝て、過ごしている)けど、そろそろ一緒に遊びたいし、遊ばせてもいい頃ではないかと夫と話し合う。

 

坊やは午前中はまずはおじいちゃんと畑へ。次にパパと隔離先の母屋で過ごし、その間ムスメさんはお布団で私に甘えん坊。しばらくすると坊やがママ~!と家に駆け込んで来たので、今度は私が一緒に坊やと出かける。「外行くならママも上着るね」と私が言うと「ママ、うえ、きる」と繰り返す。すごい言葉の再生力が高まっているもうすぐ二歳。坊やと一緒にコロスケの世話をして、郵便局に遊びに行ってから、店の掃除。嗚呼uecologyのロフト建設もしたいなあ。

 

お昼前、すこし晴れてきて、陽射しの暖かさが春。それだけで嬉しい。坊やと家に戻り、今度は夫と家の掃除。ムスメさんのインフルウィルスを一掃するように布団を干し、シーツを変え、掃除機をかける。少しすっきりした。絨毯を外ではたき、薪の補充。その間、坊やが「ねえねが好きすぎてスリスリしてくるから、うつっちゃう」のを懸念して、ムスメさんは一人で屋根の上に逃げて、楽しそう。坊やは自分だけ地上が満足できず、屋根に登るハシゴをひとりで登って行ってしまうから危なっかしい。

 

ムスメさんに言われて屋根に乗ると、裏の梅の大木のてっぺんだけが花が咲いていて春をふたたび感じる。裏の梅の木は見事に花芽がたくさんついていて、人間が切るとたくさん出てしまう徒長枝(とちょうし)という上方向に伸びる枝がほとんど無い。あるがままで完璧に美しい。そう感じさせる誇れる古木のひとつ。

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結局ふたりは一緒に遊びたいらしい。ふたりで一緒にお庭を歩いて、坊やが小さい手を「地の神様」に合わせる。その様子を「見て見てかわいい~」と、裏庭で犬のうんこを拾って埋めている私に喜んで教えてくれるムスメさん。良い時間。散らかしっぱなしだった柿と梨の剪定枝も整頓でき達成感。

 

お昼の鐘が鳴り(毎月変わる田舎のお昼の放送)そのまま二人はじじばばに会いに行って、思わぬ自由時間ができた。夫と二人で話をしていると、もう私の話が止まらない笑 このブログ見ればわかるかもしれないけれど、私は相当なおしゃべりである。「ごめんね私ばっか喋ってて」と言うと、夫に「知ってる。話したいんでしょ」と言われ、私は”話したい”というニーズが強くあることを受け入れる。自分がどう感じたか、何を考えたか、話したい。人に伝えたい。ここで書くことも同じで、アウトプットすることで頭を整理したい。他の人とそれについて話したい!私はそれをしないとモヤモヤして、落ち着かない。

 

同時に身体的なニーズとして「声を出したい」というのもあると思った。午前中店を掃除しながら、坊やと歌った。私は「声を出す」というニーズが強いのだと気付いた。昔ボーカリストをしていたのもそれが動機だったような。サラリーマン時代も会議や営業先でとにかく喋りまくっていた。声を出すと私は健康になる。

 

そのことを夫に説明すると、夫は私のニーズを言い当てたことについて、「NVCの講座をところどころ漏れ聞いてるだけあるでしょ」と嬉しそうだった。彼は私の学びの時間のために、坊ややムスメさんと時間を過ごしてくれているのだが、NVCのオンライン講座を実は所々聞いていて、一緒に学んでいるらしい。kokoさんにもう少しドネーションをしなくては!

 

私の世界を変えているNVC、夫も最近の私の変化に気づいており、「すごく良い感じ」らしい。パートナーが一緒に学んでくれて心強く、私もこのところの変化を好意的に思っていたので、それを共に感じられ感動した。泣く。

 

泣くのも、この日記を書き始めて3週間を読み返すと結構泣いている。その前はそんなにしょっちゅう泣いてない。この泣くって言うのも、私のアウトプットの一つで、気持ちを確認したいというニーズで、身体的にも私が必要としている行為に感じた。

 

このように、「自分のニーズを明確にして、パートナーや関係する人たちに伝える」ということが、KOKOさんのNVCのワークを始めてから、より的確にできるようになってきた。NVCでは「自己共感」と呼ぶ。

 

自分のニーズを軽視する人は、主語が自分ではない「普通は」「世間が」「きまりだから」「女だから」「母だから」に縛られて、自分の本当のニーズを重視できない。またはニーズを表現する自信や気力がない、またはその発想もなく、やり方も見当がつかない。すると、「自分は我慢してるのに」「あなたのためにやってるのに」と「のに」が増えて、卑屈になって、なんでも被害者のように思えてくる。

 

自己共感でまずは自分で自分を幸せにする。この一連の”魂の成長”のきっかけになった昨夏の経験、友人でキネシオロジストの朋美に改めて感謝したい。

 

そして午後はそのままNVCの補講的な共感バディーでのオンライントーク。長野と徳島と愛知を繋いで、今の気持ちをシェアする。とにかく話しまくって楽しかったし、話しながらまた泣けてスッキリした。

 

共感バディーの方が、「みさよさんの話を聞いていると、ムスメさんへの対応について、流れができてるように感じた」と言ってくれて嬉しかった。流れとは、滞りがないということ。蛇行しても、滞りなく流れていれば、健やかな気がする。常に変化していくという意味でもある。

 

途中からムスメさんが戻ってきて抱っこしながらのオンライントークだった。私はムスメさんが聞いていても、「子の願いを叶えてあげたいというニーズがあるが、子と離れて自分のやりたいことをやりたいというニーズもあり、その時間の使い方に悩む」と例の命題について包み隠さず話す。嘘をつかないのは私の大事にしている価値観のひとつだが、これについてムスメさんとNVC的に話をしていこうと決めた。

 

オンライントークが終わり、ムスメさんとの時間にする。坊やは母屋なので、二人で遊べて嬉しそう。その時、ムスメさんは自分の判断で、犬のシロが邪魔をするからと、となりの部屋にお水を置いてシロを閉じ込めた。

 

夜、ムスメさんがまた坊や抜きで私と過ごしたいと言うので、「ムスメさんが自分のやりたいことをする時に、誰にも邪魔されたくないって思う気持ち、わかるよ、ママもそう思うときある。」と説明すると、自分は邪魔者だと思ったか、一気に悲しくなってしまったようで、丸まって泣いてしまった。何も言わないで全身全霊でそばに座っていたけれど「あっち行って!」の一点張り。そのうち泣き疲れて眠ってしまった。

 

悪いことをしたと思った。五歳にすべてを正直に話そう、というのは無理のあることなのかと、自信を失い、悲しませてしまった自分に失望する。夫に話すと、”インフルハイ”がまだ続いていて、感受性が高まっているのではないかとの見解。とにかく、ムスメさんがうなされるたびにしっかりと寄り添い抱きしめるしかできない夜。

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