nature and tech.

地球平和の前に家庭平和の前に自分平和

エッセイ20180126

ラッパーで活動家のECDさんの訃報。同じく随筆家で、写真家のパートナー植本一子さんと共に、家族について書く2人の作品のファンでした。二人は石田家のA面B面というように、同じ家族として生きていても見え方は違うことを言語化してくれていた。芸の肥やしが過ぎる2人の運命に、不謹慎にも植本さんの今後の創作活動への期待を寄せてしまう。制度上の夫婦をやめたいと植本さんは最後まで悩んでいたように見えましたが、二人は同士であり、「文体を引き継いだ」という編集さんの言葉には私まで感動しました。ご冥福をお祈りします。

早起きできなかった今朝。慌てて朝ごはんを食べさせるも、やはりバス停でいつものようにおなかが痛くなるムスメさん。またか。今週2度目のバスに先に行ってもらうよう頭を下げてからの、園まで送り。今週は2日休んでいるから、その確率は2/3なのだ。

別に園まで送って行くのがそこまで苦痛にも感じなくなっている。あえて片道25分のおもしろい園を選んだのは私だ。どうせ子どものための人生フェーズ。これくらいなんてことはない。そもそも親が早起きできないから園まで送っているのだ。それを変えれば状況はもっとよくなるはず。

何か思わしくない事態に陥った時、「じゃあ次は別の方法を試してみよう」と気軽に前を向けると良い。この
朝バス停に着く頃におなか痛い問題はムスメさんの精神的なモノもあるかもしれないが、今は単純に起きてからの腸の動きにかかる時間という問題へのアプローチをしてみる、と「次なる一手」を決めているからその分気が楽だ。やっぱり園が嫌なのかな、と悩んだり、またか!と苛立つことも「30分の早起き」というあまりに平凡な次なる一手を前にかなり薄れる。

思わしくない事態に落胆し、でもそれをなんとか改善しようとする。今までの人生でやってきたことはそれの繰り返しだ。カイゼンカイゼン。その過程で問題の原因を探る。その時、「私のせいだ」とか「おまえのせいだ」という考え方が現れる。罪悪感を植え付ける見方。何事も次なる一手を試す身軽さが大事であり、問題の所存は明らかにするとしても、誰のせいかと責めるのは状況を暗く重く感じさせるだけでメリットはない気がする。私は悪くない、という考え方は「あんたが悪い」という考え方であり、どちらももう止めたいと思う。そして、その罪悪感も、状況をもっと良くしたい、思いえがいた世界に生きていたい、という私の強いneedsの現れであるとここで認めることにする。

さて、園から帰ると、家から脱走中のコロスケが吹雪を避けるように駐車スペースでとぐろを巻いていた。私の顔を見ると少しだけ尻尾を振って後からついてくる。昨夜と朝、家の前まで来たものの、呼んでも家に入ってこない自由なヤツ。さすがに寒いからか、今回は私の声かけで素直に家に入ってきた。

今日ハートコヒーランス(心臓の鼓動を感じる瞑想法)して思ったのはコロスケのかわゆさ。モフモフで、柴犬のあのお顔の可愛いさがたまらない。

ドアを開けた瞬間に脱走し、夫はそれから落ち着かない様子だった。夫が気にしているのは放してはいけないとされている犬が自由でいることを社会がどう思うかということだ。この村のひとたちにどう見られるか。

この国の人は自由な犬に慣れていない。すぐそこの国道でコロが原因で事故でも起こったら大変である。犬が苦手な人にとって繋がれていない犬は恐ろしい存在だろう。

最近ネットで見たクローズアップ現代の犬の殺処分ゼロを目指すも現実的な環境整備が追いついていない日本の自治体の惨状。インドネシアで犬を焼いて喰らう人々の動画とそれへの批判。

前々から考えていることだが、ヒトはイヌという種をどう捉えているのか。日本ではヒトの管理下にないイヌは許されないけど、スリランカで見たイヌは人間と同じ社会に暮らしながら、イヌ同士の社会があり、一族としての連帯感があった。夫がペルーで見たのもそうだったという。

そういう種の傾向がヒトとイヌが共感できる理由だろう。ストーブの前でまったりするのが大好きなコロスケが、昨日家を飛び出したのも、昼間ムスメさんが散歩に連れて行った時に大きな野良猫をみつけたからだと思う。コロスケはいつも我が家の敷地はどこまでかわかっているような動きをする。

イヌとヒトはそういう関係だから、子育てについても学ばされることが多い。一度出て行ったら自分がその気になるまで家に入ってこないコロスケと、名前を呼べば耳を垂らして擦り寄ってくるシロ。夫はコロスケを自分みたいだと言いながら、シロのようにこちらの思い通りにならないことに苛立つ。性格の違いをどうとらえるか。支配して性格を無視して思い通りの行動を取らせるのか、性格によってこちらが「思い通り」を諦めるのか。シロのように、たしかに厳しく躾をした結果、思い通りの行動を喜んでしてくれる性格の子もいる。「しつけの問題」というと養育者の責任のように聞こえ、「性格、個性」というと養育者の怠慢のように聞こえる。

そしてイヌは子どもよりよっぽどドライに扱われる。鎖に繋いでないイヌは許さない、という法律を子どもに課すかといえばしないだろう。私自身もシロがあまりにウザい時は隣の部屋に閉じ込めたりするが、子どもにそれはしたことがない。だから、イヌとの関係には、ハッとさせられる。

シロもコロも行き場を失った犬で、私たちが里親になった。家族になった。子どもに比べればよっぽど邪険に扱っているが、うちに来て幸せだと思う。かわいい。愛してる。

シロはそのメゲない根明な性格で、いつでも尻尾をふって擦り寄ってくる。外に出しておくとくぅーんくぅーん泣く。ムツゴロウさんは「泣きやまぬ犬に鳴くな!というのが躾だと思っているかもしれないが、そうではない。構ってほしい理由があるから鳴くのだ」と書いていた。シロはまさに愛を身をもって教えてくれた犬なのだ。