nature and tech.

地球平和の前に家庭平和の前に自分平和

エッセイ20180123

今日は園にいくということにしたのに、朝になるとちょっといきたくなさそうなムスメさん。そもそも昨晩の夕飯時に「明日は園にいくの?」と聞くとムスメさんの代わりにおじいちゃんが答える。「明日はいくって昼間オジイちゃんと約束したよね」ムスメさんはしょうがなさそうに「うん」と言う。

 

昨日のNVC講座の中でファシリテーターkokoさんからNVCから引用したneedsをまとめた単語のリストが提示され、そこから子育てで大事に思っている5つを選ぶというワークがあった。私が選んだのは

 

うそじゃないこと

気楽さ

共感

自己表現

学び

 

50個くらい?の単語のなかで目に飛び込んできたのは「うそじゃないこと」ということ。たしかに私はうそをつくのが嫌いなのだ。ムスメさんに「園に行くかどうかは前日にムスメさんが決めていい」というルールにしているのだが、結局私や夫やおじいちゃんやおばあちゃんの意見で決めているフシがある。最終的には彼女も納得しているといえばしているのだが、ずっとそれも気になっていた。

 

朝になってまた「おなかが痛い」と言い出すムスメさん。トイレにいっても治らない。「大丈夫?園に行きたくないから、お腹がいたいのかな?」「本当に痛いんだもん」といつものやりとり。私の記憶にはないが「じゃあ休むの?」と私は聞いていたらしい。それに対し夫が「今日はさすがに行かなきゃだめだよ」と。父親に言われて「行くって言ってるでしょ!」と机を叩いて泣き出す娘。5歳なのに思春期みたいな表現するのは天然なのかメディアの影響か。

 

とにかくヨシヨシの抱っこにおんぶでなんとか園バスに乗せた帰路に、夫から「きょうさむいからやすんでもいいよ」とのメッセージに気づく。いちど行ってしまえば楽しいはずだ。

 

うちに帰って下の子にノンタンを見せたり遊んだりしながら、火に当たる。ここ数日やけに腰が痛い。夫も病み上がりモードだし、この地域では雪はないものの、寒々しい午前中は休息。ムスメさんはアクティブな午前中を過ごしているだろうか。

 

ノンタンの動画は坊やも大好きで、教育的で、ことばや関係性の勉強になるものの、子どもに必要な遊びはアクティブでなければならないという”べき論”と少しの罪悪感とともに、今日はしょうがないという気になる。メディアに関わる仕事をして以来の問題意識と、教育界で一般的な御触書(おふれ)、テレビやゲームばっかだとバカになるというざっくりした侮蔑感。それらがあるべき子ども像を作り、いつも動画に子守させる自分をソワソワさせる。罪悪感を晴らすようにインタラクション。一緒に歌ったり英語の発音したりする。坊やは時に画面に食いついて、時に身体を揺らして、時に私の上でバランスを取りながら見る。楽しそう。

 

そしてノンタンに自分の時間をもらう。ハートコヒーランス。今日は不思議と自分の母親を思う。母もテレビを見て歌ったり、モノマネしたりしてリアクションをしていた。悲しいニュースに憤りを表し、誘拐殺人などがあると復讐心について語ったりした。いや、くだらない芸能人や議員の不倫についても詳しいのだが!

 

彼女は未だにメールにダジャレを混ぜたり、孫と遊びに行きたいレジャー施設をリサーチする明るくて活動的な一面がある。顔ハメがあったら必ずやる。そういう人。そして私とはそうやってメディアをネタによく議論した。

 

自分が親になり、思うような親になれないと、自分の子供時代の育成環境のせいじゃないのか、と思考するパターンがある。親のモデルはひとつしかないから。なんせ毒親ブームとも言える昨今。最近小島慶子の本を読んでも驚いた。親とは言え1人の人間。不完全で当たり前。子どもは大人になり、親になり、親を1人の人間として見はじめてそのことに気づく。