身体で生命を感じること
実は先日、春の訪れを感じて泣いた。
目の前から暖かい風が吹いてきて、なんかもう泣けてしょうがなかった。
春がきたーーー嬉しい!!と。
風がすさまじく強いけど、寒くない!海の向こうからくる南風が髪に櫛を通すようで気持ちが良かった。
(動画の音注意です。強風)
こちらに住んで春が来たのは5回目。丸5年を生きても、季節のことは、たった5回しか経験できない。
育て始めて3年目を迎えようとしているヘナは、やっと2度の越冬ができた。
昨年は暖冬だったので、今回の冬はどうなるかと思ったけれど、最近もくもくと新芽を吹き出している。
自分ではない他者が、種を超えて、生きている!!という喜び。良かった〜、と思わずヘナに声を掛ける。
一部の動植物は、冬に休眠状態になり、春を感じて目覚める。私には全く関係のない生態だと思い込んでいたけれど、5年×365日をここで生きて、私も生理的に春を感じられるようになった、ということかもしれない。
それは月曜の真昼間で、ムスメさんが急遽園を休むことにした日で。
想定と違ったけれど、「1日を良い日にしよう」と心を落ち着かせてスタート。
ふと昼過ぎに子ども2人ともがじじばばの所に行き、海散歩を思い立ち、すぐさま犬と家を出て、道すがら、春風に泣いたのでした。
今までの私だったら、急に園を休むことになったムスメさんときっと一度はケンカしてたけど、今日はそれがないな、嬉しいなぁ。
冬休み中、毎日のように、散歩行きたい、いっちゃだめ!!でケンカしてたのに、今日は後ろ髪ひかれることもない。
犬たちも今まで二匹で大人しく歩くことができなかったけど、やっとそれができるようになった。
そういう成長と変化を噛み締めながら、この5年を思う。3月を目前に気にせずにはいられない11日がもうすぐ。その翌年の2012年3月11日が東京のアパートを引き払った日だから、移住して5年、震災から6年、と年越しのように数える。
(この日記自体は2017/2/20のこと。PCに向かう時間がなくて3/14のUPになった。)
それ以前の私は子どもとデジタルメディアについて考える仕事に没頭していた。でも、子どものことは子どもを育ててみないとわからん!という壁にぶち当たって辞めた。
その中で「デジタル時代にこそ子どもに身体性がなくては」とぼんやり感じていた。その意味がここにきてはっきりわかってきた。
それは「生命を感じる」ということだと。
前にも書いたけれど、子どもや犬やヘナの存在が私に生命を感じる、関心を持つ、関わる、ということを教えてくれ、今まさに東京時代から持っていた「身体性」というキーワードと、点と点が繋がった。
字面にすると(頭で考えれば)当たり前のようなことだけれど、それこそ、身体で感じられるようになったということ。
6年前は海を散歩するのにも緊張した。この6年の間、自分と家族が平穏の中に生きていられることに感謝します。