ゴミではなく素材
ムスメさん4歳はいつの間にか工作少女になっており、なにやら切ったり折ったり貼ったりと黙々とやっております。幼稚園で作ったハロウィンカボチャのステッキを一度覚えたらたぶん通算100個くらいは作り重ねたのではないでしょうか。
ある時は、部屋のパーティション的に使っていた布の解れを切ってトイレットペーパーの芯に貼って、ダイオウイカ?
とにかく芸術なのですが、環境整備係の私としては毎日に新たな課題ができました。
それは「ゴミか素材か」という問う範囲が拡大したことです。
かわいい折り紙の切れ端も小指以下の大きさなら(なんでも口に入れる赤子がいることもあり)ゴミ箱に入れるけど、それ以上だとうーーんまだ素材かな、とっておこうとなります。ものすごい細かいもの、なんでもない空き箱や紙芯も宝になる可能性が出てくるのです。
いつか何かに使うかもしれないから、とっておく。でもそれには相当の労力がいる。
このご時世に「ま、また買えばいっか」ではなく。これは根強い生活のテーマではないでしょうか。
ホコリを拭いたり洗ったり使えそうな状態にする「クリーニング」
とっておく物理的な「スペース」
分類してそこにあることを記憶しておく「インデックス」
そしていざ、あれを使おうという「ひらめき」または「工夫のスキル」。
このすべての条件が揃うと、物は「ゴミではなく素材」になるのです。
これを社会全体でやろうとなると、「システム」や「法律」として必要になるのだろう。フランスの食品廃棄ゼロにする法律とかはまさにそう。
「ゴミではなく資源」についてもまた書こうと思っていますが、「素材として利用」は「資源としてリサイクル」よりも、よっぽど低負荷です。その点、企業が産業廃棄物を「素材」として売り出している事例に注目しています。
モノファクトリー
マテリアループ
リビルディングセンタージャパン
ご先祖代々住む土地に嫁に来て5年。パンドラボックスと化した部屋や倉庫の整理を買って出てやって来ました。夫と私の間では「サルベージ」が日常用語になっています。そしてこの家の”発掘調査”はまだまだ続いています。
私はやはり整理分類魔で、何十年も誰も開けたことのない箱を開けては、トルソー、隙間風防止テープ、刃物、ロケットエンピツ‥ありとあらゆるジャンルの大物から小物まで、カオスを秩序へと導いては悦に浸っております‥
そして、おばあちゃんの寝間着を発掘し、ムスメさんのエプロンにしたり、雑巾にしたり。かつてのカーテンを我が家にかけなおしたり。
古着や古布だけでも相当あります。置いとくだけでも場所とるのに、それを続けていたら穴が空いた靴下まで簡単には捨てられなくなりました。実際、穴は直して履くのはもちろん、靴下を袋代わりに乾燥ラベンダーを入れてタンスの防虫剤として使ったりしています。
いまや紙のコーヒーカップも洗って取っておくようなビンボー症の私ですが、東京時代は毎日コンビニで何か買っては捨ててました。断捨離的にエイヤで捨てるのが良いことだと思っていました。置いておく場所がないし、その思い切りが気持ち良くて。実母の口癖は「新しいの買えばいいのに」だし。
場所がないけどっていう方には、現状使わないものを預かってもらえる、しかも内容インデックスまでしてくれてネットで見れるっていうスゴイサービスもあります。
過去DIYしてきているものも倉庫から出てきたものを使っていることがほとんど。料理もそうだけど、「あるもので」精神で、「工夫のスキル」を磨いていきたいです。