「ママじゃなきゃだめ」の苦悩と成長
私の良くも悪い傾向として、仕事モードにハマりすぎる、というのがある。
以前にも高度な集中状態フェチであることを書いたのですが、そのおかげで仕事にせよ家事にせよ思いついたことを実現できるのだけれど、親になってからはどうしても子にその集中環境を「分断」されることに毎度ストレスを感じてしまうし、子と過ごす母モードは仕事モードとはだいぶ勝手がちがうので「仕事モードほどの気持ち良さ」を母モードに求めてしまっては自分を苦しめておりました。。在宅自営業を理想とし、今そうなったからこその苦悩でもあるのでしょうが、まだその器がない私。
この10月になり、苦悩の9月を経て、親子ともども変化があった。
9月はムスメさんと向き合った月でした。私にとって愛を知る、大事な月だったと振り返ります。。
弟をいつも大事に思ってくれているムスメさんにかまけて、すっかりお姉さんになったと思い込んで、大人の言葉で説明して、夏休みも明けたという大人の理解で私は仕事モードばかりONで、幼稚園にいきたがらないムスメさんをどこかで煙たがっていた。「幼稚園楽しくない。ママといたい。(泣)」「ママじゃなきゃだめ!!(怒)」ムスメさんは反動で余計にママばかりに甘えたくなるのに、うまくそれを受け止められていなかった。18kgをおんぶにだっこしながら、イライラして「なんでそんなにママなの?!」となってた。
幼稚園に行くときは赤ん坊を夫か義父母に預け、車の後部座席で固まって泣いているムスメさんをなんとかその気にさせて、教室まで送って、担任の先生が来るまで一緒にいて、泣きながら別れる‥クタクタでした。
でも園では楽しそうにやってますよ、という先生や園のお母さんたちからの声を多く聞き、実際迎えに行っても私に気づかないほど遊びに集中しているときもあるので、もうこれは「園に毎日いくこと」をひたすら応援しようと決めました。(今更~!!!!)4歳になった今、甘えたい気持ちもまだまだあることを大前提として、何かにがんばる、ひとまずは幼稚園というコミュニティの一員になるという経験をさせよう!と泣きながら会議‥
できなかったことができるようになる、ほんと些細なことでも、その経験を積み重ねること。それに気づいて一緒に確認すること。
真面目に取り組んでなかった出席シールを毎日一緒に貼って、たくさん集まったことを喜び
毎日ムスメさんを園に送った後で今日はどうだったと夫に共有し
嫌だと行っていたけど園に行ってがんばったからと甘いものを一緒に食べたり、博物館へ行ったり、馬になって遊んだり(肉体労働)して「がんばるといいことがあるね」とつぶやき
とにかく甘えん坊で良しとして、たくさん抱っこして
担任の先生がいなくてもバイバイできるようになったことを褒めて
ムスメさんを園に行く気にさせる活動で1ヶ月がすぎていきました。
するとどうでしょう。10月に入って、ムスメさんがパリッとしだしました。
9月の最終週毎日園に行けるようになり、「幼稚園楽しいかも」と教えてくれた!10月頭の運動会では園での学びを全身で見せてくれて、成長をビシバシ感じました。あれだけ私だけに執着していたのがパパや祖父母とも笑顔で一緒にいるようになり。園でやっている歌を楽しそうに教えてくれるのが可愛い。
そこで神タイミングでやってくる例の「草の実会」で園長先生の話しに目から汗が止まらなくなる。。
親と子でお互いに関心を持ち合えば大丈夫です。
マザーテレサも「愛の反対は無関心」と言い、マリアモンテッソーリも「子どもが成長するには愛が必要」と言い、野口晴哉は「子どもに(一緒にいない間も)気を集め注ぐ」と言います。
私とって親になるということは愛を知る道に入ったということのように思えます。
幼い時から「人(世の中)に必要とされる人間になりたい」という思いが強かったけど、こんなにも母として必要とされちゃうとは思ってもみなかったよ。しかしまずはここから。改めて、地球平和の前に家庭平和。