nature and tech.

地球平和の前に家庭平和の前に自分平和

けもののこどものことば

一番身近でダイナミックな自然の産物は

自分の子どもだった

 

人間の産物、と聞けば私の場合人工物を想像してしまうが

シンプルに「人間」がその最たるもの

まさにこの身体でお産を経験したではないか

 

 

そんな一大事でなくとも、日々の細胞分裂や消化によるエネルギーや排便やら

自然物を、意図的でなくとも、たくさんつくり出している訳だが。

 

無機物、有機物という区別があるが、

「自然の創造物」 と「人間の創造物」はその線引きではない

 

人間の身体は自然物なのに人間のつくり出す世界はそうではないことへの疑問を整理するために"nature and tech."というキーワードでこのブログを書き始めたが

当初「コントロールが効くかどうか」で「自然の創造物」と「人間の創造物」の区別をしていた。

 

そのような疑問を持ち始めたのは我が家で冬場に焚く薪ストーブがあまりに気持ちよかったからだ

薪ストーブの前でのんびりするなんて自然な暮らしだねなどと言われがちだが

薪ストーブは鉄製の四つ足のまるで原始的なロボットのようなtech.(技術)の産物であり、

そもそも火をコントロールするということは人間が人間たるtech.(技能)であり、

否応無しの破壊力を持つ火を味方につけた人間の知能の賜物だと気付いた

 

(なお、現代の薪ストーブをもってして、着火にライターと新聞紙を使ったとしても、薪に火をつけるのはコツがいる。都会暮らしの現代人がすぐにできるものではなかった‥)

 

さて、2歳になったばかりの娘は言語の世界の住人になろうとしている

というか、もうかなりなっている。

名前を憶え、自分の感覚や体験を説明し、世界の様子を形容する。

大人である私たちは娘の初めての一語一句に感動し、喜ぶ

微笑む かわいいと思う 胸が躍る

そこに理屈はなく、人間というのは言語を歓迎していると感じる

 

当然だが、娘はまだまだコントロールが効かない

服を着てといっても裸だし、時計を読まず(読めない)遊び、私が疲れていることなど知らない

私は自然を相手にしている

 

今の娘は獣と人間が混在している生き物なのだ

そして、その娘を見ていると、人間はnature and tech.の両方で成っていると思う