輪廻天生
今日もあたたかいお湯をいっぱいに張ったお風呂に入れてとても幸せでした
寒かったのでお湯を浴びたとき
っくぅ〜〜〜〜ぅっっ!!!
と温泉につかったオヤジのようなうなり声が出ました
ああ、毎日たくさんのお湯がひとひねりで、たくさん出て来て
足を伸ばして、身体を休める事ができるなんて
なんというそれは「豪奢をすべて備えている」暮らしなのだろうと
明日旅出つインド、スリランカでは、きっと水のシャワーだろう
私は日本人で、日本の円はインドやスリランカのルピーで比べれば多くのモノに換わる力を持っているから、海外旅行にも行きやすい
その意味では、いわゆる先進国の住人たちは、その貨幣の力を活かして、いろいろな世界を自分の身体で見に行かなくてはならない
見にゆけるようになっているのだから
そして思うだろう
蛇口をひねれば湯がでる生活とはなんという贅沢で楽な暮らしなのかと
逆の立場だったらどうだろう
蛇口をひねれば湯がでる生活とはなんという贅沢で楽な暮らしなのかと
そして、自分もそんな暮らしがいつかしたい、うらやましい、と
思うのだろうか
輪廻転生というものがあるとして
今生で徳を積めば、来生ではもっと良い暮らしができる
と考えるのはだからなのか?
そんな下心を言っているのではないと怒られそうだけど
もしかすると
蛇口をひねれば湯を得られる私と、水シャワーだけの環境に暮らす人は
来生では立場が逆転しているかもしれないのだ
その次の生ではまたまた逆転するかもしれない
実際にはそう単純にはいかずに、菌に生まれ変わったり、くじらに生まれ変わったりするのかもしれないけれど
この同じ時代に、私はなぜ日本人に生まれたのだろうと何度も考えた事がある
その一つが、世界のいろいろな部分を見るため、なのだ