理想のママではないが、正直な一人間である
2日続けて朝家を出る頃になって肩が痛いから園休むと言い出すムスメさん。困る。
園を休む決定権は彼女にある。前夜に明日どうしたいか、自分で決めていいことにしている。たぶん彼女自身がそれをまだ完全に理解してない。
「昨日行くって自分で決めたでしょ」
「でも朝になって肩が痛くなっちゃった」
「私には園に行きたくないから肩が痛くなっているように見える」
「嘘じゃないもん」
「じゃあ園を休んで何をするの」
「坊や(弟)と遊ぶ」
坊やと遊んでくれるなら助かる。5歳の彼女に弟の抱っこはままならないが、危険を判断できて、アラートを出せるから。
「ママは遊ばないよ」
と釘を刺し、園を休むのもよしとする。つまり私はあなたと遊びたくない、という宣言。
その瞬間、ムスメさんと私の間に電流みたいなのが走る。少なくとも私は胸が痛いってことは事実。
かわいそうだと思うけど、それが私の本心。
わかるよ、園を休みたい理由はいくつかあるだろうけど、ママと遊びたいという気持ちもあるだろう。
でも今日は勘弁。昨日も急に休むことになって予定していた仕事(住みながらにして着工中の家の床の新設)にほとんど手がつけられなかった。それゆえにイライラしてしまって、疲れて一日が終わった。今日は8月の締めの作業を予定してるのだ(もはや6日)。
どれもやらされている仕事ではなく、私がやりたいと願う自分の仕事だ。私は常に家にいるし、家業の他、家事の範囲が広い我が家は金にならない仕事がおおいが、それらと対比し、子がそこにいても遊ばない、と決めるのも私次第なのだ。
子どもがいたら予定は未定。臨機応変、柔軟で楽観的に、その時できる仕事(家事含む)を済ませればよい。それはその通り。むしろ、済ませられなくてもよい、手を抜いて、そんな風潮が"頑張ってるママへ、大丈夫"的に優しく語られる。
テレビで大反響!あるお母さんが綴った言葉に涙が溢れる…母として何よりも大切にしたいものとは? | Conobie[コノビー]
度々シェアされるこれ系のメッセージに共感しつつも、私は心の底ではそれが許せない。少なくとも今日はそういうモード。その状況を少しでも思い通りに改善するにはどうしたらよいかと、もがく。結局もがいただけで、子の成長を待つだけという、時が解決してくれる他ないかもしれないのだが。
私は子の相手より仕事がしたい。正直に言おう、仕事に比べて、子どもの相手は、つまらない。やりたい仕事を完結させたい。
先日ムスメさんがこういった。
ムスメさんが子ども産みたくない理由
— mind log chihiro (@misayotakasaki) 2017年8月30日
立会いで痛そうだったから
遊んで〜ってうるさいから
だそうです#子育て
以前に夫からも「ムスメさんをうざかっている気持ちが伝わって、余計にママ、ママってなるんじゃないの」と言われた。
その当時は「やばい、この気持ちが(ムスメさんが傷つくし、母としてよろしくないから)ばれているのか、どうしよう」と不安に思っていたが、今は「ばれたか。それが私だから仕方あるまい」に変わった。だからムスメさんにこう言われた時の対応も「そっか。まあ産みたくなった時がその時だから、大人になって決めればいいよ」と言った。私自身「子を産むのが女の幸せ」なんて、今の時代思わない人の一人である。
そして別の日、将来の夢は何かという話をしている時、ムスメさんはこうも言った。
「優しいお母さんになる。」
「どんなお母さん?」
「○○ちゃんのお母さんみたいに、子どもの遊びにずっと付き合うお母さん。」
「そうだよね、○○ちゃんのお母さん優しいよね。私は(笑)?」
「ママはあんまり遊んでくれない。」
「がーーん(笑)ママも結構遊んでると思うんだけどな〜」(実際遊ばない日はないと思うが、誰にとっても母親とは絶対的な存在で比べられない)
私はせめて、子が遊びたがっても遊ばないことに葛藤する姿を見せることしかできない。いや、もがいて、前に進む姿なら見せることができる、と言い換えておこう。
肩が痛いので休みますと彼女の前で園に電話する。私だったら嘘ついてたら罪悪感が出るだろうけど、彼女はどう感じただろう。
やっとここまで頭がまとまった。私はもがいて、表現する。それが前に進むために私が学んだ唯一といってもよいやり方。ムスメさんともぼちぼち、この話をしてみることだな。
(疑似体験)愛する人を突然奪われる世界
小説や映画、ネットの書き込みも、誰かとのおしゃべりも、他人の世界のほんの一部を知ることである。誰かの視点を一時的に借りる、と言ってもいい。
最近ではVRの技術も進歩しており、ヘッドセットをすれば自分のいる世界がまるで誰かの世界になる。
この夏広島の高校生がVRで原爆当時の様子を再現しているというニュースもあった。ファンタジーも良いが、ドキュメンタリー(またはドキュメンタリーベイス)はいかに自分の世界以外の「この世」があったのかを知る助けになる。
この夏も8月6日や9日や15日は足速に過ぎて行った。3月11日と違って、戦争を体験したわけでもない私がソワソワするのはほとんどがメディア作品による影響でしかない。この8月は愛する人を戦争や災害によって奪われる世界の断片がまた私の中に増えた。
ひとつは、おおたかしずるさんのコンサート(すごい良かった)にてジャケ買いした『あの夏のまま』という作品。
長野に『無言館』という戦没画学生の遺作を集めた美術館がある。CDのジャケットにもなっている若き裸婦像画のモデルの女性が、おばあちゃんになって美術館を訪れ、残した画家への思い。恋人だった。「生きて帰ってまた君を描きたい」という彼の願いは叶わなかった。
彼女はその後結婚もせず故郷へ戻ったそうだ。このCDを聞いて思い出したのは、夫の大叔母のこと。夫家族には「畑のおばあちゃん(祖母)」と「台所のおばあちゃん(大叔母)」の二人のおばあちゃんがおり、大叔母は生涯独身だったそうだ。私がこの家に来る前に亡くなっているので会ったことはないが、なんとなく、これは彼女の世界かもしれないと想像した。真実は本人以外知るよしもない。
そして先週末の田原市『男女共同参画フェスティバル&しみんのひろば』にて、やっと見た『この世界の片隅に』。(以下ネタバレ含みます)
戦下、この広い世界の片隅に生きる一人のおっとり娘は、水兵になった幼馴染みから「おまえはほんと普通なことしかしない」と笑われる。たしかに彼女は家族を食べさせたり、繕い物をしたり、畑の番をする生活者としての毎日を主に生きている。でも空からの爆弾に襲われる、出戻りの気の強い小姑にイビられる、義父が怪我で入院する、姪っ子を繋いでいた自分の右手と同時に爆弾で奪われる。大好きだった絵ももう描けない。兄は戦死、父は病死、原爆で母の行方もわからず、妹は変なアザができて弱っていく。(1回しか見ていないので記憶違いだったら教えてください)
それが当時の世界のほんの片隅に生きている一人の娘に起きているのだ。それは普通であるはずのことを普通でなくする暴力に支配された世界。まさに異常、彼女の日常はひとつまたひとつと奪われ、それを日常に変えていくしかない。とてつもなく怖くて悲しいことが数年のうちに次々に起こる。戦争だからしょうがない、、んなわけねえ!!!と空襲を受けながら、さすがのおっとり娘も怒り叫ぶ。
そしてそこからまた生きていく。日常ができる。
いのちの危険に怯えなくてよい日常はなんと有難いことなのだろう。
映画会場を出て、チャリティTシャツを売っている宮城県女川で被災されたという女性と話す。職場で被災し、子どもと生きて会えたのは震災発生時から3日後だったという。住んでいたアパートは津波に飲まれたとのこと。
そして同じ日に見た画家の小林憲明さんが震災後の親子を描く『ダキシメルオモイ』。一番辛かったのが津波で亡くなったお子さんと、生き残ったお母さんの絵だった。
私の311以外の、あの時の三日間の世界の片隅の断片をまたひとつ増やす。
先程、寝付きの悪い我が子を抱きながら、この静かな時が、我が子が生きていることが、どれだけ幸せなことかと味わう。子だけは絶対に奪われたくないと強く思う。