nature and tech.

地球平和の前に家庭平和の前に自分平和

富士竹類植物園


ここ数年ずっと気になっていた「富士竹類植物園」にたまたま時間ができ、立ち寄ることができました。竹が私にとって特別な存在であるという理由だけでなく、なんとも言えぬ神聖さがある場所でした。たまにある、次訪れてももう二度と見つけられないような気がする神隠し的スポット。

 

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友人がバリ島のgreen schoolを訪れ、バンブー建築の写真をシェアしてくれ、竹ヅイてきた、ちょうどその週末。東名を走りながら夫と「東京から帰ったら元屋敷(我が家の竹林)いかなきゃね」と話していたところに。

さらには受付ではヘナ愛用者のおばちゃんと、120年に一度開花すると言われる竹の花(ドライ)が出迎えてくれるミラクル。

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2016年も暮れですが、今年一度に何本もの竹が開花したとのことで、大変珍しいものです。私も実物を見るのは初めてで、さすがイネ科という花。(資料館には多数の花(種子)の標本もありました)

綺麗に整えられた芝生をお散歩しながら、区画ごとに分類された様々な竹を見ることができます。素人目には違いのわからないような竹でも微妙に種類が違うらしく、我が家に何種類もある竹がどんな姿をしているか、ちゃんと見えていないなあ、と反省しました。

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繁殖力のハンパない竹をよくもあんな近くに、分けて育成できるものだと、感心。

聞けば個人の研究者の方が私財を投じて作られた場所らしく、竹への愛を感じます。

そんな気持ちのよい場所で、お弁当を食べました。他のお客さんがいなくて静か‥

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ところで竹と笹の違いはご存知ですか?

私も初めて知ったのですが、竹は生長とともに皮が剥がれるもの、笹は剥がれないもの、だそうです。帰って近所を犬の散歩中も、「これ竹じゃなくて笹だったんだ〜」と細かな発見が。

資料館もなかなかの見応えで、竹がいかに人の暮らしを豊かにしてきたかがわかります。 ムスメさんの身長よりデカイ竹籠とかもあった。

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竹の繁殖を抑えるには8月上旬までに切るとタケノコが出にくい、など、実用的な情報も諸々。

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また面白かったのが竹のお酒の話。万が一、熱帯雨林でサバイブするためにも覚えておく!

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きれいな飲み水がないジャングルでは、命の水と呼ばれているのが、竹稈(ちくかん)に溜まったきれいな竹水である。
アフリカのタンザニア南部では、自生種のオクシテナンセラ・アピシニカ(現地名ウラシ)という竹から天然の酒が溢れ出るそうである。雨季に出たタケノコの先端を切っておくと、切り口から樹液が染み出し、切り口の中で自然発酵して酒になるそうである。その量は、タケノコ1本あたり1ヶ月で40リットルほども採取できるそうである。
現地ではこの酒をウランジと呼び、アルコール度が低く、糖分が高いので清涼飲料水のように飲まれている。

 

HPを見るだけでは結構不安になる感じで、しかもいま休業中やし、沼津ICからも「‥え、ここで合ってる?」っていう道のりですが、皆さんも是非行ってみてください。

 

fujibamboogarden.com

子と遊べるイマドキの嫁

水汲み、洗濯、炊事、掃除、風呂焚き。大家族で家事が多すぎて、男がエラくて女がとにかく働けっていう時代には、嫁の仕事が忙しすぎて、子どもと遊ぶ時間なんてなかったんだって

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いまに伝える農家のモノ・人の生活館より「嫁の導線」)

 

私がムスメさんと遊びに盛り上がってると、それを見たお義父さんが「いーねーお母さんに遊んでもらえて、わしの時代はお母さんはちっとも相手なんてしてくれなかった」とよく言う。

少し時代が巡り、昭和後期から平成初期に、外に働きに出ていたうちのお義母さんは、家に帰ると大家族の長男の嫁として、せわしなく家事をしたって。子供と遊びたくても、する暇がなかったって。
姑が孫の相手をするから、嫁には子の相手もさせないという家さえあったと聞く。当の姑もかつてはそんな嫁時代を過ごし、人生最初で最後の念願の子どもの相手なのかもしれない。

ちょっと前に、ムスメさんと遊ぶのが苦痛で、私も”家事や仕事で忙しい子の相手ができない母”になってもいいじゃん、という気になって、家事含む仕事モード全開で、結局上手くいかず、親子で辛いシーズンがあった。

最近はそれもあまり気にすることなく、ムスメさんと遊ぶのも苦痛でなく、楽しんでる自分がいる。愛を取り戻した。ハートに火が灯っている感。


子どもとの時間を奪われた母は、子どもと遊びたかったという。切実な願いとして。
大家族の中で、嫁としての自分が生活の大半。やりたいかどうか、ではなく、目の前にやらなきゃ暮らせない仕事がたくさんあった。

現代では核家族内の母が働きに出る。イマドキ、母親が仕事をする動機は自己実現や息抜きも大いにあると思うが、そうしなくては暮らせない、という理由は今も昔も変わらずあるだろう。
ただ暮らせない、の定義は昔とは違っている。洗濯板でゴシゴシはしないが、香りプラスの柔軟剤を買うお金が要るようになった。畑で野菜を育てる必要はないけど、スーパーで惣菜を買うためのお金が要るようになった。

何が言いたいかっていい時代になったねってこと。家事はいくらでも減らせるし、いくらでもこだわれる。
家にいてもいいし、外に働きに行ってもいいし、薪火で炊事してもいいし、コンビニで弁当買ってもいいしっていう選択が許される世になったわけだ。
子どもと遊ぶ時間さえ、経済的に困窮していなければ、ある程度采配できてしまう。ドラえもんのような子守ロボットが出てくれば尚更、と書きながら、すでに私たち親はYouTubeやらAmazonビデオという子守ロボットを手にしていることに気づく。

また、核家族というと寂しいものとか味気ないものみたいに非難しがちだけど、舅や姑になにかを強制されるようなことが平気で昔はあったんだから核家族化はそれを回避する方法だったんだな、とも。

今日では、舅や姑からなにかを強制されるって、(家業があれば別だが)暮らすための仕事の話じゃなく、たぶん単なる好みや嗜好の話だよね。子どもに何を食べさせるか、お受験させるかどうか、とか。それが合ってるかどうかが問題になってくる。

つまり、ライフスタイルが合ってるかどうか。私にとって夫の次にライフスタイルが近いのは義親。家は別棟だとしても、おなじ土地に住んでいて、私の人生のほとんどがこの家の敷地内での活動だから。

我が家ではお義父さんお義母さんと夫と子どもたちみんなで毎日夕食をとります。ムスメさんが私と遊びたがるので、まだ赤子のムスコさんをお義父さんが抱っこして、お義母さんと夫が炊事をしてくれる、というのが我が家によくある家族の風景。感謝します。

ビニールハウスを建てた 「仕事家族」について

あっという間に11月も後半だが、10月頭に新しくビニールハウスを建てた。

 

専門の業者に建ててもらうこともできたのですが、今後の機能拡張(建てましや改善のDIY)のためにも夫と二人でじぶんたちでやろうということになりました。

結果としては、経験と知識を獲得し、お金は余分に払わずに済んだのでやはりやってよかった。もちろんその分手間と時間はかけるのだけど。

夫はもはや”ビルダー”(ボディービルではない方)だが、ビニールハウスを作るのは初めて。もちろん私も。付属の説明書は専門の業者が見るものなので、細かいことは書いてない4ページ。固有名詞が多く、もはや謎解き。のちに「カチッと部材同士をとめるからカチックス」「換気のための道具だからカンキット」などとダジャレメソッドな業界用語を理解できたときには笑った。。

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始めは?だらけだったが、基本的な構造体ができてくるともう要領を得てきており、赤子のお守り(お義母さん)の都合がつかない時などは夫が一人で作業する日もあった。夕方現場を見にいくと色々進歩している。まぎれもなく、夫ひとりの今日の働きの結果である。前日までは同じ現場で仕事をしているので、その過程についても、手順、部品、道具、その時の音など、かなり詳細まで想像できる。「よくやったね〜」という時の感心、感謝、労い、共感度は高い。

 

先日貸していただき読んだ本に「仕事家族」について書いてあった。

 小此木啓吾氏の分類によると、家族全員で同じ仕事に従事するのを「仕事家族」というのだそうである。

かつて農家のほとんどがそうだった。「仕事家族」の特徴は、家族間で人と人の意思の疎通を図らなくても、仕事そのものが家族全員の心を結ぶというところにある。明日からイネ刈りにかかろうという時に、雨になる。「やれやれ、困った雨だな」と家族全員が同じことを考える。

農家の父より息子へ

農家の父より息子へ

 

私と夫はまさに仕事家族。

私が仕事が好きなのは、その成果のためだけでなく、過程として集中して取り組むこと、その中での発見や学びの喜びに加え、一緒に働く人との共感が快感なんだと改めて。これはサラリーマン時代にも感じていたことで、考えてることは同じ、という信頼がベースにある仕事仲間に生涯恵まれている。

いや、実のところ、最初はそうは感じられなくて相当に、もがいた。夫ともよくケンカしてたし。4年半前の私にとって新しい職場は母業であり、嫁業であり、パーマとカラーを止めた美容室の共同経営業であり、妻業であるという兼務だらけの初めてだらけの環境だった。

その環境での三年目にあたる2014年のちょうど今くらいの冬の入り口に、手をつけ始めた我が家の元屋敷跡地の開拓が私を夫と今のような「仕事家族」に導いてくれた最初の仕事になった。具体的にはとにかく繁茂した竹を切るという仕事。そのこともあり、竹は私にとって特別な植物になった。あえていえばスピリチュアルな存在。

 

そして今後仕事仲間として関係強化していきたいのが、義父母と子供たち。私の30代はひたすら家族を掘り下げる時代なのだ!(最近ハマっているバカボンのパパ風に)